残っている些細な事柄と関係のない何かの続き

どうでもいいが、暑い今日この頃である。いったい、今がいつなのか、さっぱりわからない。わかったところで、意味があるわけではないが。今日の日付けなんて誰でも知っているわけだし。では何を言いたいかと言うと、とくに言いたいことはないのであった。
そんな今日この頃。



どうでもいい妄想のつづき
1)相変わらず10日たっても誰が読んでいるのかわからないが、唐突だが妄想を続けてみようかと思い立ってみた。とくに目的はない。念のためつけくわえると、あくまで妄想であって、ここに書くことはいわゆる最先端なことではない・・・それは踏まえているかもしれないが、すこし軸がずれている。どうズレているのかと言うとよくわからないが、オーソドクスではないことだけは明らかである。
ちなみにたとえばサンプリングだったら、おそらくここでこだわっている「声」の問題に横滑りせずに、普通に薄切りにして爆音で流すと言う方が「最先端」という感じがする。誰かやっているのだろうか・・・誰かはやっても良いような気がする。あるいは、スピーカーを何台も置いて、そういうスライスした音を同時に流す展示作品とかも作れそうではないか。で、意味と音響と時間の問題を考えてみるとかなんとか言ってみたりして。わかりやすい、技術的、インパクトあり。とか思う。別に誰かをバカにしているわけではない。


ちなみにどうでもいいが、こうやって妄想を展開していくと、最近ナイーブに思うのは、いわゆるゲーダイとかビダイというところは、何を教え(教わり)ているのだろうということ。歴史とかなら、まあ分かる。が、ものを作ったりアイデアを展開したりするときに、誰がどうやって教えるのだろうか・・・素朴にわからないが、分かっても「ふーん」とかしか言わなそうなので教えてもらう必要性もあまり感じないが、そんな謎である。
ちなみにライター講座とかなら、まだ分かる気がする。外国のエスエフ作家がそういうところから出てきていたりして、そういう機能があるのだろう。が、これについても、たとえば「ホーシャノ―でスカトロをする物語をどうやって書くか」という問題を出したら、あまり教えてくれない気がする・・・場合によっては怒られるのかもしれん。
というわけで、やはりわからない。何が言いたいかと言うと、こういうことを言っている人の妄想なので、正しい話ではないということが言いたいのであった。そのような意味で、あくまで妄想である。



2) なんとなく1)が長くなったので改行してみた。



3)どうでもいいのだが、すこし無駄に妄想を展開してみる。と、これまで「声」に注目してサンプリングということをメインで考えてきたが、かんがえたら別にサンプラーを使ったりする必要がない気もしてきた。その線ですすめてみる。


たとえば、ここで考えてみるのはラジオである。実際、「声」というならラジオだって流れている。というか、たしかケージとかもラジオを使っていたような気がするのだが、それはさておき、ここでは声とラジオの関係を中心に妄想してみよう。
とくに、ここでの声は「うっすら聞こえる」くらいのものを設定していたが、そのような声はラジオでも聞こえる。たとえばチャンネルがすこしズレていて、多少ガガガというノイズが入っている状態。そのとき、ノイズの奥からうっすらと声が聞こえたりする。あるいは逆に、声が出ているのだが、音がひび割れているような状態もあるだろう。いずれにしろ、そういう感じでラジオからでも声について、独特の状態を見つけることが出来るとおもう。
で、それをやはり薄切りにする。分かりやすいのは基本をミュートにして、瞬間的にオンにすればよい。パソコン等の場合はミュートにすると反応にコンマ5秒くらいかかる感じだが、ラジオだったらもっと早く対応できる気もする。あるいは、よくわからないがミキサーに繋いで、同じようにオンオフしてもよい。いずにしても、こうすればほぼサンプリング(もしくはプランダ―フォニックス)と同じことが出来るはずだ。こういうことをやっている人は、いるのだろうか。


ここで、ではさらに展開してみる。上記だけだと声が一つで物足りないので、とりあえず数台つかうことを考えてみる。
とりあえず3台くらいを想定する。なぜ3かというのに、とくに根拠はないが、とりあえず3個あれば、何かが起きそうという気がするだけである。たとえば3角関係とか、3Pとか、普通なのだが普通でない状態が生まれるではないか。それと同じことを考えてみる。
というより、ここで考えるのは、むしろそうした「声による三角関係」のような状態だ。つまり、ラジオを三台使うとして、出てくる声を性別でふりわける。たとえば男性ふたり、女性ひとりとして、その声をミックスしながら流す、ということを考える。そうすると、かならずしも定かではないが、声がいりまじって、かけひきやいくつかの事態を演じるようになるかもしれない。
いうまでもなくここで重要なのは、そこで流れている「声」が、もともと別々のものであることだ。それらはいうまでもなく普通のラジオ番組、つまり、何処とも知らぬ場所で、別々に収録されている男女の声なのである。それを勝手に流用して、ある場所でひそかに混ぜ合わせながら、三角関係を演じさせる。場合によっては、最後に3Pになるかもしれないが、いずれにしてもそういうことである。ちょっとリュックフェ×―リみたいなことを考えると、いわば「ラジオによる三角関係」というべきものかもしれない。
ここまでくれば、ひょっとすればもう作品化できるかもしれないが、どうなのだろう。



ちなみに、このようなものを想像した場合、さらにもう少しだけ具体化が可能である。とくに三角関係なら「譜面」のようなものが必要かもしれない。その場合、さしあたり組み合わせ論のようなものが必要だろう。
それについては、とりあえずあるパターンを一つ作り、それを3〜4回くりかえす、というようなことを想像してみる。パターン一つは、それだけで三角関係を構成する、ある種の「物語」のようなものだ。
具体的にかんがえると、ここで男性ふたり、女性ひとりとして、まず「男1」の声が散発的に入る。ついで、「女性」の声(←おそらく道路交通情報センター等の声)が入り、いくどか交互に音が鳴る。それから「男2」が入ってきて、まず「女」と絡むように入り、ついで「男1」とあわせて、最後には3つが同時に鳴る。これが1パターン。
なぜこういうことを考えてみるかと言うと、単純に物語をやってみたいという動機だけである。おもうに昨今さまざまな音楽があるように思うが、なんとなく、どれも基本的には「一人称」的な語りが多いような気がするのだ。それは歌もそうだし、いわゆる現代音楽とかも、一人称的なものか、もしくは何かの「現象」を表象するようなものが多くを占めるような気がする。
で、それはそれでいいのだが、一方でやはりパパゲ―ノとチョチョリ―ノが仮装して恋をするとかいうアホな物語だってあってもいいような気がするのだ。どうしてそういうものがなくなったのか、その理由は定かではないが、しかし一体だれがそれをしてはならないと言ったのか、それすら分からないままの現状である。


だからここでは三角関係を考えてみる。ラジオによる、声による、男と女による三角関係だ。同じ女性をめぐって男ふたりが絡む、よくある物語である。ただ、ラジオの都合上、途中で声は変わってしまうかもしれないし、最初は穏やかだった人が凶悪になったり、あるいは最初は女だった声が、いつしか男に変わってしまうこともありうるかもしれない。それはそれでよい。
で、それが三回ほど反復されてただ終るだけ。たぶん最初は音を小さくして、声が聞こえないくらいからで、2回目3回目で徐々に声を明らかにしていけば、なお良いかもしれぬ。あとできれば、ヘンタイの物語の特徴として、主人公はさしあたり最後に他殺されたり復活したりするので、3回目のループでは「男1」は途中で途切れたりするのも良いかもしれない。


いずれにしても、ここで考えるのはそうした、声による物語、あるいは具体音をつかったフィクション、ラジオによる架空の性愛である。
こうしたことは、それほど難しくはないような気がする。面白いかどうかはよくわからないが、それはそれとして、音によるフィクションと言うのも、あったら面白ような気がしたりしなかったりするわけである。
そんなアイデア。ラジオによる三角関係。



4)ねむくなってきた。



誰が読んでいるのかしらないが、そんなかんじで、


つづく。