続きに関連する関係はない追記

どうでもいいのだが、いきなり寒くなったせいかその以前からか、風邪気味である。というか、気温が下がっているのか体温が上がっているのか、その両方なのかどちらでもないのかが、いまいち分からない今日この頃。それが分からないと言うこと自体が「風邪気味」ということは大いにありうるが、だからといって何も解決したわけではない。



とりあえずジジ問題メモ。今日と昨日のシンブンにフッコー庁についての記事。各ショーチョーに対する権限集約が不足していると批判的論調。感想。今さら書いてどうする・・・
あとやはりトックの是非については書いてない(トック自体については書いてあるが「是非」は問うていない)。ということは、トック自体は認めると言う理解でいいのだろうか。クミアイが反対していたはずだが、それはどう理解すれば良いのだろう。どっちでもいいか。
そんな今日この頃。




誰が読んでいるのか知らないが客としてのメモ。今月の予定はとりあえず23日に池袋でヌー。実はこの会場の前はたまに通るのだが、行くのは初めて・・・とりあえずこれは決定。よくわからないが気分はヌーである。
あとは朗読ギグか、ついさっきエスラップ事務局からオートモさん企画のメールが来た・・・どっちか。こんなの書いても意味はないが。


あとぼんやりゲスい日記を閲覧。ゲスい・・・どうでもいいが、前に「カネについて勝手にキレる傾向あり」と書いてみたが、ちなみにつけ加えるとそれは集客でも同様である。つまり最初は客が来ないと愚痴っていたのが、いつのまにか自分でキレはじめて、最後は「来なくて何が悪い」みたいな感じになる。で、感想としてはそれはそれでいいし、どこも悪くないのだが、問題なのは、それと集客の問題の解決とが、あまり関係がないところが悩みどころである。
ちなみにこうやって書いているが、誰が読んでいるか知らないし、さらにいえば本人に向けて書いているわけではない。そりゃ人間だもの、ある程度は同じパターンを繰り返しそうだと言うのは分かっているし、会場が復活したのだからなおさらそうだと思う。じゃあなぜ書いているかというと、ただ、こうやって書いてみれば、次に繰り返したとき、誰かが「それ、また同じパターンですよ、たいくつ。」とかいうツッコミを入れてくれればなんとかなるんじゃないかと思うだけである。たいくつ。
つけくわえると、ゲスい対比表みたいのがあるが、なんとなく「閉じている」というよりは、単に「マイナー」なのではないかと思った。あと個人的には、二項の中間くらいが好みかもしれない。たとえば「常連のいるバー」と「チェーン店」というときに、個人的には「チェーン店にいる常連」というのがいつも気になる。あるいはジイとフリーセクスというときに、このあいだ書いたような3Pのようなものは、どこかその中間のような気がするわけである。・・・というか、一体、自分は何を書いているのだろうか。




どうでもいいが項目だけ。三角関係について書いてみた、その追記をめぐってのメモ。
1)何かを追記しようとおもっていたら、疲れてしまった。ちなみに追記しようとおもっているのは、
a)ヘンタイ的な問題について。前からちょこちょこヘンタイという語を使っているが、とくに定義はない。が、この前の三角関係のときに、「ヘンタイ的な作品だと最後に主人公が他殺されたり復活したりする」と書いてみたが、その追記。もう少し正確には、「作者本人のそっくりさんと思しき人物が登場し、ヨコシマなことをした挙げ句に他殺される。しかも場合によっては複数回、他殺されるときもある」というようなものである。
うまくいえないが、これが個人的にヘンタイ的作品というときの一つの条件かもしれない。だからどうしたといえば、全くもってどうもしないわけだが。


ちなみにちょっと面倒なのは、ここで言うヘンタイというのが、いわゆる症例としてトウサクと、似ているようで違う感触があり、そのへんが難しい。というか、一番問題なのは、それを論証しえた場合、論者自身がヘンタイになってしまいかねないことであり(だからこそ定義や論証ができる、というか)、そこまで踏み込むのが困難である。
一例だけ挙げてみれば、あくまで個人的な感触だが、デビッドリンチはトウサク的だが、どちらかというとオーソンウ×ルズがヘンタイである。ちなみにウェ×ズはしょっちゅう死ぬ役ばかりやっていて、一体どうなんだろうと思う。この例で分かるだろうか・・・



b)やはり前に書いた「具体音によるフィクション」という問題について。これについて、よくわからないがこれ自体は新しいものでないように思う。ただ、その一方で、どうも最近そうした問題が途絶しているように思われるのだ。そうした具体音=サンプリング音楽についてのメモ。
例だけあげると、ここで思い浮かべるのはいわゆるエレクトロアコースティックによる作品などで、そのなかには、フィクションをサンプリングと加工によってリアライズしようとしたものもあったように思う。そういうここ20年くらいの問題がひとつ。
他方でもう一つ、サンプリングによるストーリーテリングというところまで問題を広げることも出来るかもしれないが、これはこれで、恐ろしい問題である。そこにはもちろんグラウンドゼロもあるし、それ以前にフェラーリがおり、シェフィールがおり、みんな具体音をつかって言語的/音楽的な語りを試みたように理解している。そういう、ある種の歴史遡行の問題。あるいは、つまりそういうのが、エレクトロアコースティックでいちど途切れているのではないかと言う問題関心でもあるわけだが、そんなことを気軽に書くとどこかからものすごく怒られそうなのであった。



2)そういう追記を構想。



というか、追記についての構想についてのメモを書くだけで疲れてしまった。


ので、


つぎに続く。