関係に関係ない続きの関係

誰が読んでいるのか知らないのだが、昨日は色々企画に行ってみた。個人的にはとても充実した感じだったのだが、なぜか体調が最悪。じつのところ、誰かこの文章を読んでいる人がいて、すでに面が割れているのなら、すれ違い様に「元気ですか?」「あー、まあ、ふつう」のような会話を糸口にどうでもいい会話などをしてみたいと、常々思っていた。いいかえれば、どうやらワタクシは受け身体質であるということを認識しはじめた今日この頃。
が、昨日はそんな感じでなかった・・・なんというかヤミ上がり感がハンパない。なぜこんなことを書いているかと言うと、実は終演のあとに飲み終った空き瓶を戻しにカウンターに行ったところ、出演者が全員おり、それなりに何か言おうと思ったのだが、まったく無表情のまま立ち去ってみたからである。というか、笑顔を作る体力など、どこにあろうか。というか、別にそれで悪印象をもたれるのは問題ないのだが、企画内容に不満(な客)だと思われるとそういうわけではないということが言いたいのであった。
というか、どこか具体的に悪いわけではないと言うのが問題である。あえてあげれば、足を組もうとしたらモモがつりそうになった(実際にツッたわけではない)というくらいなのだが、それは何かの症状とは思えぬ。



そんなかんじで、色々な感想があるのだが、書こうかどうしようか迷っているあいだに今日を迎えている。はて。
あくまで個人的だが、とくに印象深かったのはアメヤ×オータニと、前衛家×オータニ+ユウシイエヌブイの。朗読と言えば朗読だが、実はどちらも普通の朗読ではない。しかも共通するものがあるかというと、そうでもない気もする。
つけくわえると、そもそも、なぜこんなものを見ているんだという、客としての謎が一方で渦巻いており、しかしけっこうちゃんとした何かを見てしまったと言う感じがあって、これは結構、すごいとおもう。ちょっと偉そうだけど、企画として成立した感があるというか。とりあえず前回の色々との比較からすると、「とりあえず成立している感」みたいのがあって、それはそれで驚いた。なにしろ大半が朗読だけなのだから。
そういうことをキチンと表情に出したかったわけだが、それは叶わぬ。




いくつか感想。アメヤ×オータニは、なんというか困る。アメヤさんのを見ると、いつも困る。よくわからない。いや、やっていることは分かるし、なんとなく実は意図的にコントロールしている部分がかなりあるんじゃなかと常々おもうのだが、いざ見てみると、どうにも困ってしまう。エラそうに言えば、よくわからないが、誰かエラい人が見て、ブチ切れて帰るくらいのことをした方が良いんじゃないかとさえ思う。なぜそう思うのかよく分からないが。
それに今回もかなりズルい感じ・・・童謡をいくつも集めて、すこしずつ引用しながら、いわばリミックスしていく。ただ、朴訥な声で読み上げられ、部分的な反復がおこなわれると、童謡が何か不気味なかんじになってきて、しかもそれがどんどん付け加わっていく。おまけに、途中から本人が倒れる。倒れるばかりでなく、倒れ続けると言うか、起き上がって座ったら倒れ、また座ったら倒れ、倒れたらそのまま床のうえを転がりはじめ、つまり倒れるという行為が延々続く。
しかも、その倒れ続けるあいだも、一貫して朗読はつづけられている。息があがり、声がうらがっても、全体のテンポが維持されたまま。だから、それは普通ではあり得ない(普通は倒れたら、イテえ!とか言うのだが、それは全く言わない)し、つまり意図的にやっていることがわかる。だが、それがわかっていても、やたらと何か恐ろしい感じがたかまるのだ。


だいたい、童謡自体、すこし不気味である。
たとえば印象的だったのは、イヌのおまわりさん。よく知っているのだが、切り取られると突然、不気味になる。
たとえば、そこでは、「まいごのコネコちゃん」は、「なまえをきいても わからない。おうちをきいても わからない。」結果「ないてばかりいる」というところだけを取り出されると、(一体このネコは何なんだ・・・というか、もう誰も救えないのでは)という疑念がアタマをよぎる。名前がわからないのは結構、致命的ではないか。せめて何か言った方がよい、泣いてばかりいるのはマズい。
かと思うと、なぜかそれを救うべきオマワリサンも、「わんわんわわーん わんわんわわーん」と「ないてばかりいる」らしい。とすると、(ああ、もうダメなんだな・・・)としか思えない。というか、なんなんだこの不条理なシーンは。イヌが泣いてばかりいたらダメではないか。おまえはオマワリだろ。なんとかしたまえ。それがオマエのシゴトだ。
と胸の内でツッコミまくるのだが、それがどうしようもないことも知っている。というか、そういう歌なのだから、しょうがないのだ。それは、そういうフィクションなのだ。そんなことは最初から分かっている。
だがアメヤさんは容赦なくそのシーン(だけ)を反復する。あるいはただ泣き声だけを繰り返し、ついには結末も見ないままに放置してしまう。
とすると、つまり、どういうことか。おそらく、ネコとイヌはただひたすらに、名前もわからぬまま、いまもどこかで泣き続けているのだろう。




というわけで、そういう不条理なシーンがひたすら積み重ねられ、とても困る。困るばかりか、そのうちよく分からない勢いで感動したりしてしまい、非常に困る。
個人的にはとくになんという歌か知らなかった「どこかに春がやってくる」みたいな歌でなぜか涙腺がマズいことになってしまい、しかし体調が悪いせいでボンヤリしてしまったのだが、誰か泣いている人はいないかと思わず辺りを見回してしまった。


どこかから鼻を啜る音がきこえたが、しかしそれがただの鼻炎なのかどうかもわからず。とても困る。



・・・とくに結論を見ないまま、なんというか今日は疲れたのでここで終るが、とりあえずメモとしてこれだけ書いてみた。
なぜこの点だけを書いたのか自分でもよくわからないが、理由としては、これをズルいと言って良いのか、どうしていいのか、ちょっとよく分からないからである。
おもうに、たぶんこれはズルい。しかし、本当にズルいのかどうか分からない。そのあたりが引っ掛かるのだが、ひっかかるばかりで答えがないのだ。
というわけで、困ったままである。


ので、
つぎに続く。