関係に関係ない続きの関係のつづき

どうでもいいが、昨日の続き・・・には、たぶん辿り着かない。



どうでもいい挿入。たまに感想している「マワる××」、まったくもって18キンな感じになって、驚く。その描写自体はあんまり驚かないが、とはいえ、展開としてはやはり驚く。
別にこだわっているわけでもないので適当だが、やはりなんとなく予想をしてみたくなるのが人情である。
そんな感じで感想をしてみると、一つには三角関係が気になる。前に一度書いたが、ここでの物語のひとつは「3」という数字で、ただしそのうち一人が撤退してカップルが成立する、ということではないか。
とすると、先週の話は、それまで先生とリンゴみたいな子と先生の奥さんという三角関係だったものが、さらに実は奥さんにも別の三角関係がある(奥さんー女の子ー先生)ということだったようにも思える。あるいは、主人公の双子の赤い方も、実はふたりの女性が絡んでいるようで、やはり三角関係かもしれない。つまり、実は登場している人物の全員に、こうした3角関係みたいなものがあるのではないか。
とすると、よくしらないのだが、ここでセーゾン戦略といっているのは、ひょっとして「三角関係を切り抜けてカップルをつくること」なのではないかという気がしてくる。当たっているかどうかは知らないが。あまり馴染みもないし、正直個人的にはピンと来ないが「運命」「赤い糸」というようなことも、つまりこうした事柄に関係してくる、ような気がしなくもない。
ちなみにそうしたかんじで予測してみると、三角関係に巻き込まれていないのは、主人公の青い方と、あと双子の両親のように思える。ので、これからの展開にかかってきそうではないか。たとえばこの両親がふつうの両親とは思えないので、これは何かあっても不思議でない。また、青い方は、これまでひとりだけやたら受動的だったので、たぶん物語としては彼が動きだすのではないか。
いずれにしても、なんというか先の読めない展開はちょっと驚いた。だからといって他のアニメを見たりはまったくしないのだが。




この話とは全く関係しないが、前にゼロの主題というのを書いてみた。で、それをもう少し膨らませて、はて、ゼロ的なストーリーというのを考えてみたりした。
で、どうでもいいのだが、そこでまず思い浮かぶのは、登場人物が互いにコロしあって、つまり全員シんでしまうストーリーである。古今東西いろいろあるが、もっとも有名なのは「ハムレ×ト」か。
ちなみにこの「ハムレッ×」、互いが互いを刺しあって全部がパーになる話だが、面白いのは、意図していない相手をコロしてしまうという行為が順繰りに行われて、結果、全員がシんでしまうところである。つまりちょっとヒトヒネリしてあるわけだ。
一方、よく読むと形式的にはどこか中途半端なような気がしていて、とくに気になるのは、ハムレッ×がひとりだけ、二人コロしていること。つまり、実はきちんと順繰りに行為が繰り返されているのではなく、どうもズルして形式を保持しているような気がする。
つけくわえると、よく「××すべきか、せぬべきか」みたいな問いがあって有名だが、よく知らないのだが脚本だけを読む限り、この主人公は最後まで決断をしていないようにみえる。つまり実際に殺害しているのは、ウルサいセイジ家(オフィーリ×の父親)と、二人の家来と、あとクライマックスの二人であり、いずれも考え抜いたと言うよりは、危機が目の前にあらわれたときだけ反射的に動いているように見える。ようは、全部なりゆきまかせで行動しているんじゃなかろうか。
・・・いま何を書いているかと言うと、つまり「ハムレッ×」にツッコミを入れているわけだが、はたしてどうなのだろうか。別に怒られたいわけでは全くないが、なんというか、世に言われるほどカンペキではないような気が・・・。たぶん気のせいだな。この文章は嘘である。




とか考えてみたが、つまるところ、こうしたストーリーはあくまで、構造としてのゼロ、というかんじなので、却下してみた。
別にこれを書いてもどういうわけでもないが、個人的に興味があるのは形式ではなく、操作概念のようなものとしてのゼロである。たとえば座標軸がいきなり出現してしまうような、そうした機能。
いささか適当すぎるが、一つだけ例を出すと、たとえば前から踏み込みはじめたクロソ×スキーには奇怪な主題として、言語と身体の並行論みたいのがあるらしい。つまり、一般的には行為と発話は、ひとつながりのものとして捉えられている(と思われる)が、伯父さんはそれをいきなり分離してしまう。というか、どちらかというとその二つを分離させたい。あるいは、分離させるような操作をつくり出したい。そういうことを考えているように思われる。まあ、結果としてそれが大男とセmuシ男が奥さんを襲うみたいな話になるのはどうかとおもうが(そしてそこで奥さんにおいて言語と身体が別々に動きだすのを描写するのもどうかとおもうが)、いずれにしても、こうした操作を行っているようにおもえる。
で、これがゼロと具体的にどう関係するのかは不確かだが、それまで存在していなかった奇怪な座標軸を設定しているといっても、それほど間違ってはいないように思える。つまり身体と言語をわかつ座標を創出したというようなかんじか。ちなみに、念のためつけくわえれば、常日頃こういうことを考えているわけではない。



ちなみに、瞬間的にハッキョーしたかんじのことを書くと、この伯父さんに「歓待のオキテ」というクルった概念があるのだが、前から素朴におもうに、どうもその実践においてジェンダーバイアスがかかっているように思われる。
つまり、ここではワイフを客に与えるというのがオキテなわけだが、その際の客が、なぜか男性ばかりなのだ。そうすると、必然的に出てくるシーンは決定されてしまう。念のために言えば、これはオキテが間違っていると言うより、そのオキテの具体的なあり方の部分において、バイアスがかけられているのではないか。
というか、何か政治的に正しいようなタームを使って書いているが、ではこのオキテにそって政治的に正しいことをした場合、何がおこるかというと・・・たぶんランコーである。もっと人数がふえるので、おそらくそういうことになるだろう。で、それは伯父さんの気に沿わなかったのかもしれぬ。なんというか、あらゆるところに座標軸が・・・。もしくは小説のタームを使えば、あらゆるところに「真実」があるというべきだろうか・・・。
だからどうしたわけではないが。この話題ここで中断。というか、いったい何を書いているのだろうか。




そんなかんじで、今日はかなり過ごしやすいものである。やっとわずかに感じた秋めいた気候だが、おそらくまもなくそれも過ぎ去ってしまうことだろう。そんな今を堪能したいものである。


というわけで、つまるところ、
つぎに続く。