関係に関係ない続きの関係の続きのつづき

うーむ、どうでもいいが、誰が読んでいるのか知らないが、昨日はちょっとヘンなかんじになってしまった。実のところは、なんとなくネットでゼロと物語についての記述を連日みていて、おもわず一人勝手に反応してしまったのだが、前に書いたようにこの主題は(個人的な)レッドゾーンの「つづき」なので、うっかり書くとヘンタイ度合いが止まらないのであった。あと、内容もかなり未整理爆発である。
正直、削除しようかともおもったが、これはこれで、書いてみたのは良いかと思うことにしてみる。


とはいえ、いずれにしてもこのテーマは個人的にこっそりチンタラ取り組むかんじ。もちろん、何かスゴイことをやろうというわけでもなく、なんとなく気になるのでやってみるだけである。本当は3年くらい寝かせてみたい気分だが、それはそれで意味が分からないので、思い付いたときに続けるだけ。
ちなみにくりかえしだが、別に新しいことを考えているつもりもなし。ただ、無とか無限は避けると言う方針だけである。ゼロといっても、普遍的なものというよりは、結局のところどこかで誰かが発明したアイテムに過ぎないというか。そうしてみたら、案外あちこちに現実的なゼロがあるじゃないかとか、そういうことをちんたら考えてみよう、みたいな。
そんなのあるわけないじゃないかという人もいるかもしれないが、一つだけ例を挙げれば、このテーマを書いたのは10月11日だが、その日からちょうど10年と1か月前、地上のどこかにゼロが生まれたことを知らない人は、おそらくいない。それまで「2」だったものが、ある日突然「ゼロ」と呼ばれることとなった。それは、おそらく誰も否定できない。
では、それはどういうゼロなのか。というより、それを果たしてゼロと呼んで良いのだろうか。それはあくまで2であり、一つ一つにそれぞれの出来事があったのではないか。それをゼロとして、いわばひとまとめに呼ぶことは、一体何をしているのだろうか。それはつまり、一つ一つの出来事を無視して、ゼロに直面する「敵」を名指しするための身ぶりではないのだろうか。あるいはそこから「2」を消すことで、何かの現実を捨象しているのではないのか。


もちろん、これに答えはないことは分かっている。そんな問いかけも知らずに、そのゼロは現実にあるままなことくらい知っている。だが、おそらくそれは無でも無限でもない、一つの現実だ。
だったら、10年後に一度くらい、そういうことを考えても良いのではないか。なぜそれがゼロと呼ばれるのかと。あるいは、そのようなゼロが無数にあるのではないかと。


そんなかんじ。あとはチンタラしたいものである。
というわけで、この話題中断。もうネットでゼロを見ても反応しないように努力しよう・・・




そんなかんじで、一昨日のつづき。ちなみにただいま、体調かなり恢復中。
1)アメヤ×オータニについては、まあ、だいたい書いたか・・・というか、なぜそんなに感想を書くのか、我ながら良く分からぬ。
つけくわえれば、オータニさんのサックスが良かった。サックスの調整が良いのかしら、金属的だけど艶かしいところにフォーカスされていて、フリージャズ風でインプロ的な介入の仕方。あと大半は挙動不審なかんじがもの凄い・・・


うーん、というか本当にこだわっているのは、そこではないな。というか、やっぱりアメヤさんをみて困ってしまう何かについてだ。というわけで、少し論点をもどす。
書いて良いのかわからないが、うーん、たぶんそれは、ステージ上のイメージとして、自分を破壊していく(もしくは、自分が破壊されていく)ようなところについてだろうか。よくわからないし、ほとんどアメヤさんのステージを見ていないので書く権利はないのかもしれない。が、「バングント」で初めて見て以来、ほとんどそういうイメージが焼き付いて離れないのである。この日も、ゆっくりと机ごと床に倒れていく姿をみて、そのイメージから逃れられなかった。というか、やはりそのイメージは強烈だし、そこから様々なことを考えてしまうようなテーマであることは疑えないように思う。
で、実は長い間、いつもそうした「生」と「死」みたいなことを考えている、ひどく恐ろしい奇人なのではないかと思っていたのだが、エキスポという雑誌のインタビューとか、あとこの7か月のつぶやきなどを拝見するに、だいぶ修正された。


で、いまのところの結論としては、あくまで個人的な理解だが、たぶん一つにはアメヤさんが頑丈で、そういうナ―バスな主題を扱っても大丈夫らしいのではないかということと、もう一つはそのうえで、やはりステージ上でそういうイメージを作ることにこだわっているらしいということである。いいかえれば、やみくもに自己破壊をしているのではなく、あくまで「ステージ上」とか「箱」とか、そういうラインを引いた上でイメージを展開している、のかもしれない。裏返せば、アホかもしれないがバングントをみたとき、その線引きがないままに、やたら自己破壊している人に見えてしまったのだった・・・まあ、それくらいのことを想像してもおかしくない状況がそこにあったとは思うが、でも、たぶんそうではない。
ただ、いずれにしてもキワドい主題をあつかっていて、しかもステージとはいえ危険なことをやっていて、そのうえでかなりコントロールしているのをみると、スゴいなとかおもう。
どうでもいいが、いきなりですけど、なんでそういうイメージにこだわっているんですかとか聞いたら、教えてくれるんだろうか・・・なんとなくシックリ来るからとか言われそうだが、さしせまって聞く必要性はあまり感じないのであった。正確には、あまり切迫したかたちで聞いてはいけないことのような気もする。のだが、エンゲキの人って、こういう問題はどう扱っているんでしょう・・・よく知らない。



2)忘れていたが、アメヤさんの朗読は全体としては主題の転調みたいのがあった。ぼんやり書くと、
動物→家族→季節→(星)空
みたいな流れ。動物と家族については、なんとなくすれ違いとか孤独のようなテーマが浮上してきたのだが、それがそのまま自然の摂理のような形に接続されて展開していくような雰囲気。


で、季節の主題が出てきたときに、あっさり涙腺がマズいことになって困ったのだった。たぶんやはりズルい。


と、長々書いたが、とくに結論もなく、
つぎに続く。