b)

ふたたび気を抜く。抜いている。
書くことを決めていない。



買ったり読んだりみたり。
ユリ×カをめずらしく買ってみる。感想はいろいろ。ひいき目であることは確実だが、つくり手のひとの文章が素晴らしいように感じる。が、気のせいかも。
ひとつだけ。前にやくしmaruetsuこについてここで書いたとき「正しい・・・」は、オッサンを飼い馴らしている構図だ、ということを書いたが、記事をみていたらそれが「va」ではなくまとめて「ソ―タイセー理論」であることが強調されていた。つまり「理論+オッサン」ではなく、オッサンも込みで「理論」なのだ、ということなのかもしれない。うむ、だからどうしたといわれるとサッパリわからん。


あとは。
さいきん前衛家への言及がおおいような気がするので、その文章についてもコメントがあるような気がしなくもないが保留。ひとつだけ追加すれば、自分ができるわけでもないのにコメントすると三人称の描写が中途半端な感じがする・・・そこをうまく機能させれば、官能的になるような気がするが、とてもエラそうなコメントで自分がビビる。ので終了。


ほかにもあったが忘れた。



ちなみに先日、使っている場所の回線環境が不調になり、一瞬おどろく。それほどネットに淫しているつもりはないが、そういう部分もあるのだろうか。というか、ここのところ少しモードチェンジをはかろうとする気分もあったので、そういうことについて考えた。
これはもう少し尾を引くかも。




ちなみにどうでもいいが、妄想を続けていたら、ふと「一人称の音楽」というのに辿り着いた。もう誰かが言っているのかどうか、わからない。求むコメント。適当にメモ。


なんでもデュシャ×はこう言ったらしい。「他人がみているものを見ることはできる。では他人が聞いているものを聞くことができるだろうか?」。
で、それに対して「さあ?・・・でもなんかできるんじゃないかな」という感じのアイデアである。


つまり誰かが聞いている世界をそのまま提示する。まあ、ある種のフィクションとして。いわゆる音楽だけでなくて、聴こえる話し声や物音や、そういうのも込みで。
あるいは、妄想したり回想したりするときの、部分的で断片的な音の連なりとかも込みで。
それをまるごとリプリゼンテーション。もちろんサンプリングを使って。架空の誰かが聞いている世界をリアライズする。



具体的には、まあ、フィールドレコーディングと発話と朗読とサンプリング諸々をミックスする。それによって、架空の誰かさんが聴いている世界を、まるごとプレゼンテーション。途中で妄想が入ったり、回想したり、耳もとでとつぜん吐息が吹き掛けられたり。そうやって一つのプロセスをつくる。
それは客観的な音楽と言うよりは、主観的な音楽。そうやって誰か他の人が聞いている世界を、フィクションとして動かしたり聞いたりする、というようなもの。そういうアイデア。一人称の音楽。



うぬ。こういうの、誰かやっているんだろうか。思い付いてみたが、けっこう本格的に勉強不足でわからない・・・アルビンカランとかやってそうだが。けっこう普通に、知っている人がいたら教えてほしいのだが。あんまりいないんだったら、けっこうマジで妄想を続けてみようと思うのだが、つまりはそういう妄想である。




というわけで。


どういうわけかはわからないが、
つづく。