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なんだか寒いんだか暖かいのだか分からない今日この頃。
今日も気を抜いている。気が抜けている。


どうでもいいのだが、サチコエムは今いったい何処にいるのだろうか・・・写真をみると、もう何だかわからない表記なのだが。ロシア?中東?
まあ、どうでもいいか・・・



これもどうでもいいのだが、ふと気づいたこと。
ある日突然きづいたことがあり、実はこの文章はトク名であることを一つの基本にしているのだが、気づいたらここに挙げている名前で定着しているんじゃないかという気がしてきた。
あるいは、たまにシンサイで影響があったことは何ですかみたいなことを書いている人がおり、人それぞれだろうし、またそれは一つではないように思うのだが、個人的なことの一つは、この名前で予約とかし始めたことである・・・というか、たぶんこの文章を見ている人は、おそらくこの名前で書き手を認識しているのではないかとふと思った。
で、まあそれはそれでいいのだが。なんかそういうことに気づいた今日この頃。



唐突ではないが、いくつかの続き。
1)前回に提出した一つの課題。艶笑における表現についての課題である。何が言いたいのか分からない人もいるかもしれないが、あえて具体的に言えば世の中には「アヌビス神」というのがいるらしいのだけれど、そこから「ビ」を抜いてみた箇所についての表現である。これを設定すると、かなり複雑な組み合わせが可能になるとおもわれる。それについての考え。


で、さしあたり適当に、それを「ゼロ地点」と呼んでみよう。もちろんそれは、さまざまな摂取物がカロリーなどを消費してゼロに還元される場所であり、またそこを通してそれまで価値のあった食べ物などがゼロに化す場所でもあるからだ。
くわえて、記憶がふたしかだが、いわゆるクイア批評でジュネ論などにおいて、この箇所を用いた行為について、それはつまり「直チョウの墓場」を対象とする、という表現があったような気がする。それを踏まえても、やはりゼロ地点といってよいだろう。いいかえれば、そこは吸収したものがゼロになる地点であり、くわえて生産性においても何も生み出すことのないゼロ地点なのだ。


ただしこのゼロは、おそらくほとんどの人が持っており、だから現実には無数に存在する。ただの数字、だが無数の現実としてのゼロ。とりあえずそう設定してみよう。
とはいえ、実のところ、だからといってどうしたわけでもなかった。ただこうしてみると、ようやく一つのセットができるわけである。世界の起源と、方程式と、ゼロ地点。あるいは問題点。
あとはそこに何かの構造を持ち込めば、いくつもの方程式が世界の起源とゼロ地点をめぐって連立し、不等号がはげしく入り乱れながら解をつくりだすにちがいない。そこに問題点が立ち上がったり、解がとけなかったりすることがあるかもしれないが、そのなかでいくつかの組み合わせや運動が出現するだろう。というか、要はランコーなわけであるが。そんなかんじである。



どうでもいいのだが、やってみたはいいが、いざ作ってみるとその後どうして良いのか分からないのであった。困ったものである。実はどこまであけっぴろげにできるのかというのを試している実験でもあるわけだが、なんか大丈夫そうである。大丈夫だったらどうしたと言われると、とくに答えはないけど。ぬぬ。
次は構造の問題だな。




2)適当な思いつきシリーズ。
そういえば「一人称の音楽」というコンセプトを放置していた。なかなか難しいところである。というか、このコンセプトがある程度オリジナルなら、なんというかたぶん演奏することとか、もうできる。たぶん。ただ、内容的に面白いかどうかは分からないが・・・


が、なにか面倒くさくなったので、今日はここまで。



そんなかんじで、
つづく。