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誰が読んでいるのか未だにわからないが、今日は雨である。暖かいので油断して外出してみたところ、予想を遥にこえる大雨である。あまりに大雨なので、とくに意味もなく驚いてしまった。
そんな今日この頃。



ここ数回フザけた話題が続いたので、いきなりマジメな感じにしてみよう。
個人的なメモだが、アsaヒ新聞に連載されている「プロ×テウスの罠」という記事が、結構すごい。ゲンパツというか、ホーシャノーにかんする調査活動をめぐる記事。
もちろん記事内容が本当かどうかは分からないが、あまりに間違いなら連載がストップするだろうし、そういうことはないので、ある程度は本当なのだろう。
だとしたら、なんというかかなり困ったものである。ヒトゴトみたいだが、とりあえずヒトゴトみたいにそう言うしかないような事態。
困った困った。



どうでもいいが「マワる××」、だんだんスゴイことに。一つには、ついに主人公の両親が登場しかける。
あと、解釈はひとによって違うだろうが、個人的にはついに青い方の主人公にも三角関係が出現。二通りの「運命」をめぐる三角関係か。困ったかんじである。
あと、すこし前の回であるが、現実世界とはズレた並行世界のトーキョーが描かれたときがあって、あのときの描写はすごかった。トーキョータワーの代わりに、なぜかデカいダビデ像が立っている・・・しかも像のあちこちに窓があって、つまり中がビルみたいになっているらしいのだ。すごく鮮烈なイメージ。
別にアニメとか見ないのだが、このイメージは強烈だった。




だらだら続けた話の中断について。
1)艶笑ネタは前回で一通り揃ったので、ここでいったん中止。というか、こればかり書いていると単にヘンな人か、場合によっては女子に怒られそうである・・・誰が読んでいるのか知らないわけだが、そういう配慮も世の中には必要かもしれぬ。
というわけで、いったん中断。



2)とはいえ、この話はやってみたらやってみたで、それなりに重要さを発見。
ひとつには、あくまでこれは個人的な趣味ではなく、すでに沢山流通しているイメージをどう言語化してみるかという試みであって、その意味でけっこう面白い。


ふたつめに、これはやはり「120日」にかかわる。実はだいぶ前から「120日」の話をしようとしてペンディングになっているわけだが、その問題と切り離すことができない。以下、個人的なメモ。


で、とりわけ重要そうなのは、前回やってみたゼロ地点や、そうした設定による構造の問題である。ここまでは基本的に3pがどうしたとか適当に書いてきたが、知っている人はたぶん知っているように、実は「120日」などにおいては、3pなどを遥かに超絶したプレイが複数、出現する。
たとえば一つには、ある意味で10pみたいなのだが、実は一つの「方程式」に対して9人がかり、というような構図が出てくるのだ。しかも9人がいっせいに関わるのではなく、それ自体が人間ピラミッドみたいになっているというか、奇怪としかいえないものがある。
そこでは、たとえば方程式に直接触れるのは一人で、そしてその一人に対してゼロ地点と世界の起源に方程式がくわえられ、さらにその上に乗っかってまた別のピラミッドが組まれる、というようなあり方である。その場合、別に1人だけでもいいような気がするのだが、それではダメらしいのだ。
しかも困ったことに、そういうパターンが何通りも展開されたりする。たとえば9人なら9人で、その配列の入れ替えとか、そういうことを含めてやたらな組み合わせが行われる。あともう一つ、性別も入り乱れている部分がかなりあり、この点を含めると、組み合わせがやたらでない数に達する。



で、どうでもいいといえばどうでもいいのだが、前から少し思うのは、こうした側面についてあまり触れられていないような気がする。ふたしかだが、たとえばロランバ×トやフー×ーの議論等を見ると、たしかに構造的に明晰に分解されていると思う。その一方で、しかし実際には、どうも上に書いたような側面と言うか、組み合わせによってかなり不可思議な構図が次々にでてくることについては、ほとんど触れていないような気が、ちょっとだけするのである。気のせいかもしれないが。
あるいは、フー×ーは「組み合わせをすべて叙述した」というような言い方をするのだが、普通に上述の組み合わせを考えると、実のところ、おそらく組み合わせの全体は膨大な数であり、実際に描かれているのはそのうちのごく一部ということになると思われる。裏を返せば、ある意味でかなりランダムな部分があるように思われるわけだ。で、しかしそれを「すべて叙述した」と言ってしまうと、なにかを取り逃がしているような気がしなくもない。ちょっとうまく言えないが、前からそのあたりがとても気になるわけである。
だから簡単にいいかえれば、上のような構図に注目すると、しばしば指摘されるような「法」の問題や「シンメトリック」な描写にたいして、そこからはみでるような部分が沢山あるように思われるといってもいい。まあ、あくまで個人的な疑問だけれど。


で、ちなみにこうした観点からすると、なんだかんだ言ってスゴそうなのはパゾリー×で、そこでは男女両方がごちゃまぜに扱われていたり、あるいは「法」のもとでこっそり囚人同士が勝手に通じ合ったりするシーンがあったりと、なかなか一筋縄ではいかない細部があるように思われる。
つまり、一見きわめて様式化されたようにみえながら、単純な法の支配とシンメトリックをはみでる部分を沢山もっているように思われるのだ。それは作家の趣味がどうこうという部分を超えて、原作を把握するさいに重要な部分を押さえているということかもしれない。あるいは、やはり実際に人物を動かしたり配置したりすることの実践が、そういうことに繋がるのかもしれない。すこし適当すぎるが。



などなど。というか、こうやって考えてみると、単純に言って、問題が大きすぎるのである。「120日」は巨大であった。
というか、もうひとつの大きな問題は、だったらどうしたといわれると、さあ?としか言えないことなのだが、なんとなくこの辺から攻めてみるのもよろしいような気がする今日この頃。


というわけで、この話はここで終了。




長くなってしまったが、基本的にはフザけた話であった・・・まあいいや。この話は続かない・・・が、雨は降り続いているようである。


と、そんなかんじで。
どんなかんじか、もうさっぱり分からないが、
つづく。