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どうでもいいことだが、今日は気が抜けているどころか適当である・・・頑張らない。ある意味で脇がガラ空き。足もふらふら。
そういうモードで行ってみたい。



そんな感じの妄想のつづき。一人称の黙読独白の演奏。
1)いきなり頑張らないが、さて妄想を進めるに当たって、なるほど作り手は難しいと思ったところである。なんとなくコンセプトを立ててみたが、そうすると次に、どうやら全体の美学のようなものを考える必要がある。なんでもありなわけだが、そのなかから、一つを設定しなければならないようだ。
よくわからないが、その際、おそらくすべてを「新しい」と言う形で設定する必要はないような気がする。というか、そういう気分になった。あるいは、そういう気分が分かった。
いいかえれば、フォーマットは今まであるようなものであっても何の問題もないわけだ。もしそこに問題関心があるのならば、そのフォーマットをとりあえず設定して、そこから出発する、というのは、大いにアリだろう。というか、そうしないと出発できないような気さえする。
このへん、いわゆるヒョーロン家とかヒヒョーとか、分かった感じになって「それはもう古い」みたいなことを言いたがる気もするが、それはどうやら言う側の勝手な問題設定なのかもしれない。
とか思った。以下、そういうことにかんする妄想。



2)そんなかんじで頑張らないわけだが、とりあえずフォーマットを設定してみたい。


で、それにあたり、やはり個人的には影響を受けた・・・といっていいジャンルを選択するのが良いだろう。とりあえずの出発点として。
で、そうすると、このあいだ前衛家のつぶやきに対して書いたことに違反するが、それはやはりオンキョウ派である・・・ちなみに誰がそれで、定義がどうで、というようなことを言いたいわけではない。なんのかんのといっても、大きくザックリ言うところのオンキョウというものにワタクシ個人が影響を受けたということが言いたいわけである。で、そのへんから自分なりのフォーマットを設定してみようと言うわけだ。こういう言い方が誰かの怒りを買うかもしれないのはよく分かっているわけだが、今日は頑張らないので、よく分からないことにして進む。



というわけで、ではどういうあたりが重要そうかと言うことを設定してみよう。なんのかんのといって面白そうであったところのポイントは、さしあたり2つあがる。


a)やたらと小さい音であったこと・・・なんだかんだ言って、たぶんこれは多くの人が認めるだろう。場合によってはほとんど聞こえないときさえあり、そういう音を使って音楽をつくっていた。それが良いか悪いか、古いか新しいかはさておき、そんなに小さい音でアリなんだという点はやはり捨てがたいポイントである。


b)それとほぼ同じことだが、なんだかはっきりしない音を使って音楽をつくることである。これも人によってはノイズとか物音とか、いろいろな言い方があるだろうが、いずれにしてもザックリ言えるのは、なんだかよく分からない音を使っていることである、・・・たぶんこれも、良いか悪いかは別として、了解されるような気がする。もちろん他にも色々あるとか、大きい音もたくさんあったとか沈黙がどうこうとか色々あるのは分かっているわけだが、今日は頑張らないのでそのへんは無理解で進みたい。


ちなみに、この音の問題については、一方でいわゆるテクノイズという表現があり、一方に物質性そのものというような言い方があるように思う。厳密ではないが、頑張らないので主観的に、とりあえずその二つの定義を思い起こす。ただ、それについては個人的には、もうちょっと中間領域のような気がしている。つまり物音とノイズの間のような、モヤっとした領域の音の楽音としての使用である。
これはなかなか難しい問題だが、たとえばここで思い出すのは、そこには沢山「単なる息」のような演奏もあったが、しかし必ずしも「単なる息」ではなかったような点である。たとえばそこでは息だけでなくチューブを通してあったりと、いわば楽器と音との関係が考慮されていたようである。もちろんそうでないのもあっただろうし、もっと楽器を普通に使ったのもあったように思うのだが、そのへんはさておく。
だから言い換えれば、それはバリバリのノイズでもないし、しかし単なる物音でもない、そのあいだの領域を開発し、楽音として用いたのだと理解できる。というか、そう理解してみる。結果、一体なにを演奏しているのかわからないモヤっとした音を沢山使った音楽が生まれた。そういう風に捉えてみたい。ご無体は承知で。


念のためにつけくわえれば、この問題は非常に厄介なのはよく分かっている。たとえば上でさらっと「ノイズ」と書いたが、オートモさんの定義によれば、ノイズというのは「ある人が『うるさい』と思えばどんな音でもノイズ」ということになる。だとすると、実はあらゆる音がノイズになりうるわけであって、上のようなザックリした定義は通用しない。
そうではなくて、ここではとりあえずノイズについて、それはもうきちんとジャンル化されたものとして捉えてみる。たぶんノイズが一般にすでに固定化したといっても、これもやはり多くの人は認めるのではないだろうか。単純にいえばそれは大音量で、ホワイトノイズやハ―シュノイズといった「ノイズ」を用いた演奏のことである。おそらくそう言ってみても、それほど問題はないような気がする。
で、ここで言いたいのは、モヤッとした音について、それは単なるノイズでもないし、あるいは単なる物音でもないという形で捉えてみたいと言うことである。つまり楽音の領域の拡張といってもいいかもしれない。


ちなみに、こういう風にぼんやり考えると、新しいか古いかという議論はさておき、楽音の領域の拡張は、もちろんずっと前から連綿と続けられてきたように思われなくもない。もちろんそこには、いわゆる「ノイズ」とかトーンクラスターとかあるかもしれないが、ここで想定しているのはたとえば「無調」とか、「シュプレッヒシュメンテ」とか、そういうものである。つまり、メチャクチャな雑音ではないが、かといって旧来の音の出し方ではないあり方を模索するようなもの。そういうのは結構まえから、しかし連綿と進められてきたのではなかったか。
そういう新しい音の領域の開発/拡張のパースペクティブのようなものを考えてみると、あらためてその線上に載せられることもできるかもしれない。だから繰り返しだが、ここで注目するのはいわゆるノイズの拡張としてでもなく、あるいは物質的な音への還元でもない、楽音の拡張としての方向性である。そういう演奏がたくさんあったような気がしてならない。
もちろん適当だが。




というわけで、相当に適当に進めてみたが、何が言いたいかと言えば、ここで妄想するフォーマットとして、上記の2点を設定して見ると言うことである。どういうことか。
前回、シチュエーションを設定した。どこかで、誰かが、本を黙読しているという状況である。その一人称の音楽。
そのために、ここでは上記のフォーマットを採用する。つまりa)音はちいさい b)何が鳴っているのかハッキリしない音を用いる そしてc)それをサンプリングで演奏する。というわけである。これがとりあえずのフォーマット。


では、もう少し具体的にどこまで妄想できるだろうか。ひとりで、どこかで、座って、本を読んでいる。独白している、黙読している、その一人称の音楽について。



もう疲れたので今日はここまで。適当すぎて迷惑かもしれぬが、申し訳なさ過ぎて言うことがない。
困ったものである・・・がしかし、例によってただいま空腹のため思考することができないのであった。困った困った。



と、そんなかんじ。


とはいえ何がどういうかんじなのかは、あなたに委ねられているわけだが、
つづく。