2.012)

誰が読んでいるのか知らないが、すこし間があいた。が、だからどうしたわけもなく。さしあたりいつものように空腹さと脱力さだけしか思い出されることはない。
というわけで、例によってとくに意味のあるわけでもない文章をつくっておく。



新年をすぎていくつかの雑誌などをたたた立ち読み。年始のブンゲー誌の内容の濃さに圧倒される。どうでもいいけど映画ジヒョーをみていたら、やはりメールで訊ねるとかアリなんだなと思ったりする、そんな今日この頃。


ちなみに非常にどうでもいいが、やはり前々回にアップしてみた画像にコメントが来ない・・・そもそも、よく考えたら知りあいがいないことに気づいた。というか再び気づいた。困ったものである。
というわけで、そういえばメールをしてみるというのはアリかもしれないと思ったり思わなかったり。ライブ行った感想とかやってみればよいのかもしれぬ。そういえばオータニさんにメールしても良さそうだが、もう一月前とかになっているのだが大丈夫なのだろうか・・・思い付いたら適宜やってみようかしら。
ちなみに、だからといって何か名前を売ろうとかではない・・・というか、そもそも売るような何かがない。しかも去年はちょっと前衛家に変なスタンスのせいで迷惑をかけたかもしれない・・・まあ、とはいえちょっとした挨拶くらいでもと思うのが人情のような、そうでないような。
このあたり、あまり詰めると単に面倒なので、適当にやってみたいものである。


そんなかんじの、今日この頃。




というわけで、どういうわけかは知らないが、先日、コアオブベルズとゲス番長のゲ正月に行ってきた。なにかヒヒョーめいたことを書かねばならぬ気がなくもないが、そんな気分はとりあえず無視して、適当な印象論だけメモしておきたい。


まず重要なポイントとして、電車が止まっていた。前にゲス番長の企画に行ったときも止まったので、ジンクスかもしれん。大変なことである。
第二に、お雑煮ならぬ、ゲ雑煮なるものが供された。ちなみに餅は四角い。あっさり目。刻んでいれてあるユズが良い香り。全体として美味しい。
とりあえずこんなところだろうか。




もう少しだけ続けてみよう。と、思い出されることとして、非常によく笑った。最初から最後までほぼずっと笑っていた。どういうものかは、説明がかなり難しい。


あえて試みれば、オペラかもしれない。会話があり、シチュエーションがあり、音楽がはいる。そのような意味でのオペラ。ちなみに予想外に演奏がガッチリしていて、はじめてみたので何だか驚く。
もしくは、飲み会かもしれない。というか、どうも実際に出演者はずっと酒を飲んでいたように見えた。偽物ではなく、アルコールを直接に摂取。
結果、時間とともに酔いが進展していったようだ。会話の多くは即興的だったようだが、徐々に話が噛み合わないかんじに。ちなみに、かと思うと意外に演奏がガッチリしていて、なんだか驚く。
このどちらか。もしくは、この両方。とりあえずそんな印象である。




もう少し続けてみよう。と、あえて難しい印象論をつけ加えるならば、いわば無償性というべき性格が全体を貫いていたようだった。
つまり、そのつどの会話や行為が、後にひかない。全体としての完結性に、ひとつひとつの会話や行為が結びつかない。すべてのやりとり、コトバ、身ぶり、演奏、音楽は、どれもその場で繰り広げられて、ただそれだけにされていく。
それを、全体的な物語への貢献とのかねあいから、無償性とよんでみよう。


いいかえれば、そこで繰り広げられるすべては、展開していく物語に対してほとんど貢献することがない。具体的には、たとえばそこにはアルタイル星系の第二惑星からやってきた宇宙人がいたのだが、それはただそれだけのこととして納得される。
もしくは、その放置された宇宙船のせいで8年間浪人生活をしている人物が轢かれてみたり、あるいは手を握りしめられた全身傷だらけの別の人物が、別れた妻子を思い出して病気のことを忘れたりするのだが、だからといってどうしたこともない。
つまり、だからどうしたというような無意味ぶりがやたらと充満していて、色々なことが起きるのだが、十全な意味や物語にはまったく貢献しないまますり抜けていく。
よく分からないが、たぶんそれがどこか良質な喜劇のような印象というか、要はずっと笑っていたことに繋がっているような気もする。が、よく分からない。というか、そんな喜劇がどうしたとか、そういうことにも結びつかない何かだったような印象。
もしくは単なる飲み会か。だいたいそんなところ。




もう少しだけ付け加えておく。このように書くと、なにかさぞかしメチャクチャなように思われるかもしれない。が、あくまで個人的な関心からすると、どうもそういうなかで、どこか記号の問題が貫いていたような気がする。あるいはコトバの問題かもしれないが。
つまり、そこで繰り広げられる様々な無償というかどうでもいいようなものは、しかし実はある一つの記号の変奏である、というような。もしくは、一つの記号がさまざまに形をかえているような、そうしたあり方である。


ただしここで問題なのは、もしそうした変奏としての性格があるとしたら、その記号というのが、どうやら「ゲス番長」というタームであるらしいことである。
正確には「ゲ/ス/番長」と分解され、とりわけ「ゲ」と「番長」があちこちに飛び散って、色んな物に取り憑くようにして会話と行為を生み出していく。そんな印象があった。


具体的には、ゲ正月、ゲ雑煮、「番長はいったい誰だクイズ」。ゲ雑煮のうた。ゲ正月のうた。そんなかんじで、すべてが「ゲ」と「番長」を軸に展開する。あるいは、今年最大のヒットソング1位〜3位とされたのは困ったことに、いずれもコアオブベルズとゲス番長による「ゲス番長のテーマ」(←ちなみにメロディはぜんぶちがう)である。
だから、いいかえれば、その場で繰り広げられたあらゆる演目は、すべて「ゲス番長」という記号の夥しい変奏なのかもしれない。ただし、だからといって、ではゲス番長がどこか背後に君臨しているかといえば、すぐ目の前のちゃぶ台でスポーツ新聞を読んでいたり、ゲスなサングラスをかけてクイズの司会やら曲の演奏やらをやっている。しかもちょっと恥ずかしそうなかんじで。


だから、目の前で繰り広げられるのは、そうした記号としてのゲス番長の解体と変奏を、ゲス番長とコアオブベルズが演じていくような構造である。その解体と変奏の演奏と実演に、知らず客が巻き込まれていたといえるかもしれない。ちょっとしたほろ酔い気分も交じりつつ。
あるいは、あえてかっこよく言ってみれば、これはシュミラークルの乱舞と解体と交歓であったのかもしれない。あるいは、そうした記号の解体と変奏を無償につづけてゆくことで生み出される運動か。もしくは、変身しつづける記号と飲み会の合体かも。
記号と饗宴の合体か。それが何なのかは、よく知らないけど。


とかなんとか。




そんな印象である。だからどうしたといわれるとよく分からないし、かなり適当だが。あとはよく知らないので、そんなかんじで。


どういうかんじかというと、もう空腹であった。というわけで、
つぎにつづく。