補・2.012)

どうでもいいのだが、とくに書くことがない・・・とりわけ、書き出しにかんして、書くことがない。しいていえば、カキフライなどを食べたい昨今だが、だからどうしたといわれるとよく知らぬ。


そんな今日この頃。



非常にどうでも良いが、昨日のつづき。というか、一応、文章を読み直してみたところ、途中までは良い感じのようであるが、どうも最後がイマイチであった。・・・単に疲れただけのような気もするが、「記号と饗宴の合体」とか、端的に意味がわからん。困ったものである。
というわけで、あえて訂正してみると、「記号の饗宴」ということになるのかもしれない。こうやって書いてみると、どこかマトモそうな文章である。


しかしここで問題なのは、これだとすこし二ュアンスがちがうことである。たとえばさらっと「記号」と書いてみたが、ここでのイメージとしては昨日かいたように、ある記号それ自体が、いろんな記号が手を繋いで踊っているようなものであって、一つの記号は次々に分割されて色々な場所へ飛んでいくことが重要である。あくまで個人的にだが。
で、そうすると「記号の饗宴」というのは、やや単調なかんじがする。あえて適当に考えてみると、そういえば昔フー×ーに、「言語の無限反復」というエッセイがあったが、そんなかんじにちかい。


あるいはもう少し詰めてみれば、それはむしろ「言語の無限交配」のようなものかもしれぬ。言語それ自体が次々に分割解体して、色々なものに取り付いて何かを生み出しては、次に続いていく。それは反復と言うより交配である。
ただ、そこで生み出されたものは、何かの役に立つわけでも、物語に貢献するわけでもない。ひとしきりの笑いを生み出したらそこで放置されていく。無償性というのはそういうことであり、そうした複雑な交配の軌跡を目の当たりにしていたのかもしれない。



というか、これは単に昨日かいたことをケツから逆にかいただけであった。とくに意味なし。どちらかというと、単に「無限交配」と書いてみたかっただけかもしれぬ。ちがうかもしれぬ。さて、どっちでしょう。




なおもう少しだけメモ。
ちなみに、このように書くと、何か非常に空疎な「言語遊戯」のように思われるかもしれないが、それは間違いである。というか、意外にサラッと社会的な事柄が会話に入っていて、そのへんが何とも困ったところだ。
たとえば、具体的には途中で始まる「一体ほんものの番長は誰なんだクイズ」みたいなクイズ印象的(正式タイトルは忘れた)。それは3人の「番長候補」みたいな人が出てきて、いったいそのうちの誰が本当に番長かを当てるクイズである。ただ最終的にいったい誰が番長だったのかは、結局のところわからないまま放置される(←正解はCMのあとで!と言うところで暗転し、そのままゲスな居酒屋に移行してしまう)。なんとも役に立たない無償の企画。


で、言いたいのはそこではなくて、その3人の候補が、それぞれ「遅番長」「てづくり番長」「もったいない番長」を名乗るわけだが(ちなみに司会はゲス番長がやっている)、この3人のコメントがいちいち社会性をふくんでいて、しかもちょっと笑える感じになっているのだ。
実際、「遅番長」とは、たんに従事している職場のシフトが「遅番(おそばん)」であるという以上の意味はもたされていない。が、それにまつわる職場の説明をやたら延々としたりして、それはそれで笑うことではないのだが、クイズという状況やら何やらのかねあいで笑いが止まらなくなってしまう。しかも全員こんな具合で事態が進行するのである。


なので、どちらかというと言語遊戯のようであって、意外に社会性があちこちに入り込んでいる。このへんが、何とも困った次第である。




もうひとつだけメモ。
上に書いたように、どうも印象的だったのは、ひとつの記号がいくつかに分割されて、あちこちに取り憑くような側面である。具体的には、ゲ正月、ゲ雑煮などなど。つまりは「ゲス番長」が解体して交配していくと見立ててみた。


で、問題なのは、こうやって書くと、何かファンタジーのように見えるかもしれない。つまり現実に存在しない架空のものというか、もっといえば内容のないコトバあそびみたいなもの。
で、たしかにそうかもしれないのだが、ここで極めて困ったのが、実はそうした変てこりんな事物が、現実に存在していることである・・・実際、すでに客はステージが始まる前から「ゲ雑煮」をいただいており、(ユズが入っていて美味。)とか呟きながら食べてしまっていた。そしてステージ上でいわれるゲ雑煮とは、まさに客にふるまっていた雑煮そのままであって、ひるがえってそこから「ゲ雑煮のうた」とかいうことまで展開していく(←ちなみに全員がそれぞれ具材に扮して、あれこれ説明するという内容。だからどうした・・・)。
あるいはゲ正月というのも、わからないようでいて、実はステージで行われたその全体が、どうやらゲ正月らしいのである。だから、それも必ずしも単にコトバを貼りあわせたわけではない。と解釈してもよい。つまり上演の全体を通して、貼りあわせたコトバはそれなりの内容をもって現実に存在してしまうらしいのだ。


だから大きく言い換えると、とりあえず記号を表現と内容にわけてみるとして。どうやらそこでは記号の分割と交配がおこなわれているようである。いってみればそれは記号の内容と言うよりは、いわゆる表現レベルでの分割や交配かもしれない。とくに「ゲス番長」をキーとして、その分割と交配がすすめられている。
で、ではそうした記号の内容についてはどうかというと、それにかんしてコアオブベルズとゲス番長は自らのパフォーマンスでそれを作りあげていくようなのだ。それも徹底した無償性をもって。とくに意味もなく、意味をつくりあげていく。


だからどうした、といわれれば、とくに意味はない。ただ、こうやって書いてみると、なんとなくラディカルな気がしなくもないが、これ以上はよく分からない。
というか、どこまで意図的なのか、そのへんが最初から不明・・・困ったものである。本当に記号の問題があるかどうかも、よく知らない。ただ、あってもおかしくはない気もする。



ちなみにもう一つだけ付け加えておくと、音楽性としては2MCによるハードコアパンクに近い。これもかなり困る要素。
とかなんとか。




そんなかんじで。よくわからないが、なんだか新しい問題に手を延ばしてしまった気もするが、忘れることとしよう。とくに何も考えてはいない。
そういえば空腹である。アジフライなどを食したいところ。ソースか醤油か、個人的にはどちらでもオーケーである。


というわけで、よくわからないがこんなあたりで、
つぎにつづく。