0.2012)

どうでもいいが、寒い今日この頃である。今日はすこし過ごしやすいが。1月らしい。
こんなときは何か食べたいものがあったような気がするが、忘れてしまった。はて何だっただろうか。困ったものである。


そんな今日この頃。



どうでもいいが、一昨日の文章は、本当に学生のレポートみたいになってしまった。どうしてこんな文章を作ってしまったのか、我ながら良くわからない。どこかで変な知識が刷り込まれているようである。
一方で、しかし記号の問題はなかなか難しい問題である。とくに音楽とか歌唱とかになると、文脈との関係をふくめて色んな人が色んなことを言っている。そうしたなかで、ひとつの取っ掛かりにはなるかもしれない。そういう点で、レポートみたいな文章もつくってみるのも一興だったかもしれない。


とくに、たまに拝読するのは、ある作品なり音楽なりについて、「あらかじめ何らかの文脈を設定してつくられているもの」という言い方がされることである。あるいは、どのようにしてそうした文脈から逃れるかというような問題。これは、ゲスな日記に限らず、オートモさんの文章でもお見かけする。いいかえると、いわゆる「うまい」演奏が、イコール良い演奏かどうかは分からない、というような言い方が、そのように理解されたりする。


このあたりの問題は、難しい。特に難しいのは、実のところ理論的にはいくらでも乗り越えることができるように思われることである。いわく、作品は文脈から切断されているとか、作品の意味は常に開かれているとか、そういう言い方は、言い方は簡単だし、理論的にも保証されているように見える。どういう議論をするかは人によるかもしれないが、それを言うのは簡単だ。
けれど、実のところおそらく、文脈と言うのはそんなに簡単な問題では無さそうである。もしくは文脈から切断される作品が本当にあるのかどうかも、ひょっとして疑わしいのかもしれぬ。もしくは、「文脈から切り離して、自由に作品を解釈できる」と言うこと自体が、ひとつの文脈になったりもするのだろう。というか、個人的にはいわゆるコンテンツと言うのはそういう風に見える。錯覚かもしれないけど。


ではどうすればいいのかといえば、よく知らないのであった。とりあえずレポートみたいな文章を作ると、そういうことを考えたりするものである。さしあたりせいぜいそれくらい。


あとは、「無限交配」とか言ってみるとなにか分かった気になるとか、そういうことだろうか・・・ちなみに、やたらと記号のはなしをツラツラ作ることができることの一つは、たぶん前からやっているヘンタイの主題と関係していることは薄々分かっている。だからなんとなく手を延ばしてみたいのだ。
というのは、あくまで個人的な理解だが、ヘンタイは記号の問題が結構好きである、。しかもきちんと理解しないまま、好き勝手に記号をいじくりたがる傾向にあるような気さえする。そういう傾向がありそう。

ちなみに、どうでもいいといえばどうでもいいのだが、ただし問題はここで言っているヘンタイの問題が、けっして記号の問題に回収されないというか、そうではなくて、実はもっと別の問題を扱っているのではないかと言うことである。たとえばヘンタイ伯父さんなら「実存」とか・・・信じがたいが、そういう気がするわけである。そこがけっこう重要ではないかとちょっと前から思っている氏第。
なので個人的には、記号とともに、そこだけでないところが重要である。あとやってみてわかったが、全体として、一般論はやはりニガテであるというか、具体論がないとうまく処理できない。これはこれで困ったものである。



というわけで何が言いたいかというと、とりあえずこの問題はここで区切っておいて。ふたたびヘンタイとかレッドゾーンとかに戻りたい次第である。
というか、そういえば年末のオートモさんとオルウク氏の演奏とかにも触れていないのだった。ノイズの話とか。あと音量の音楽とか一人称とか。あと周期性のない反復とか言ってみたりしていた・・・けっこう山積みである。何処に向かっているのかいまいち分からないが。



とかなんとか。そういえば、いまだに画像にコメントが全くない・・・そんなにダメだったのだろうか。あるいは意味が分からないのかしら。というか意味って何?



みたいなかんじで。つまるところ、
つぎにつづく。