songbook for 11 silences...


music of volumes No.2 (↓)

http://d.hatena.ne.jp/animalgigagiga/20120123




とくに説明はしない。前と同様に、ネットに流通している画像を加工、貼りあわせてできている。内容は、悪漢が闖入した際の沈黙と硬直の光景が示されているが、原型はとどめていない。そのように見えないかもしれないが、そうした同じ光景の映像が11枚はりあわされている。基本的にけしからぬ内容であるわけだが、とりあえずそのように見ていただきたい。
なおこれは「音量の音楽」なので、設定としてそのような原型を配慮し、ここでの音量設定は11回の沈黙とすることとした。このスコアを用いた演奏が万が一あるとして、その際、11回の沈黙が挿入されなければならない。もしくは11回の沈黙がない限り、演奏を終えることはできない。
また、その際のそれぞれの沈黙については、長さや状況は問わない。


なおvice/viciousは、よこしま(な)、悪徳(の)というような意味だとおもわれるが、vicious circleになると「悪循環」という意味である。




また前回、自動的に画像が縮小されてしまったので、部分の画像を別に貼ってみた。ここで考えていることの一つは、画像における全体と部分の分裂というか、視覚が全体を把握すると同時に、視線が細部の色彩や描写のあいだをさまようような性質のものである。らしい。このあたりが、個人的に画についての一つの関心であって、しかしそれがどれほどの一般性を持つのかについては、いまひとつ分かっていない。ただ、とりあえずこのように画像を人に公開しても良さそうだという判断は、ある程度は色彩の重なりのなかで視線の移動が可能になったようにおもわれたということはありそうである。これが、あえていえば個人的な解釈。



また、もうひとつ関心があるのは、作業がすべてモニタ上でおこなわれたことである。いいかえれば、この画像は実体をもっていない。モニタにしか存在しない。それがひとつ。
他方で興味深いのは、しかしながら、どうやら画像の色調や細部は、使用されるパソコンおよびモニタの種類によって異なるようである。すくなくとも色にかんしては、デスクトップかラップトップかだけの違いでも、かなりの変化があるようにおもわれる。つまりどのように見えるかは、実のところパソコンによって違ってきてしまうようなのだ。
ただ、だからといって困っているわけではない。ここでの関心は、むしろこの画像の支持体がモニタそのものであることにある。つまりここにアップしている画像はすべて、それをみているあなたのモニタにのみ存在している。そしてそれらは、モニタごとに異なるようであり、それはそれで構わない。むしろそこでどのように見られるのかのほうに興味がある。
いいかえれば、上記の視線の問題がいささか古臭い19世紀や20世紀の問題であるとすれば、このような画像の様態だけはかろうじて21世紀に足を突っ込んでいるようでもある。これが個人的な解釈その2。



しかしそのようなことは、どうでもよい。実のところ、さしあたって関心があるのは、これを見たあなたの頭のなかで響く、11回の沈黙についてである。もちろん画像を見ても沈黙など思い付かないかもしれない。それはそれでよいのだが、一方で我が儘にも期待するのは、こうしたなかから11回の沈黙を想像していただきたい。そしてその響きを鑑賞していただきたい。
しかしながら、はたして「頭のなかで響く沈黙」というものが、いかなるものであるのか、実のところこの文章をつくっている人物には想像できない。それが11回もおこなわれるとして、その沈黙の響きはどのようなものなのだろうか。それぞれに異なるのだろうか。もしくは、いいかえれば、私たちは11種類の異なる沈黙を想像することができるのだろうか。それぞれの沈黙を想像し、聴きわけることが、できるのだろうか。
この画像をつくりながら、そのようなことを思ったり思わなかったりしたものである。ただ問題なのは、くりかえしだが素材になっている画像が道徳的によからぬ内容のものであって、だからどうしたといわれると、さあ、よく知らないとか言うほかに、すべを持っていないのであった。困ったことである。




とかなんとか。要は、なんかできたのでアップしてみた。


そんなかんじで、よくしらないが、
つづく。