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どうでもいいが、トーキョーは雪である。一面の銀世界。寒い。こんなときはカレーなどを食べて元気になりそうなので、どちらかといえば「アンコク街の弾痕」などを眺めたりして、いたいけな気分になりたいところである。どこで上映しているのかよく知らないが。


とかなんとか。



どうでもいいが、2月は展示月間のようである。



どうでもいいが、ジジ問題についてのメモ。
このところブンケンが気になるところである・・・で、何の解決などもないのだが、気になるところだけメモすると。「つよい大人をつくる」や「サバイバル」的な感覚はなんとなく分かるのだが、一方でどうしても気になるのは、そこからこぼれおちてしまう問題である。
とりわけここでは子供のこと。その存在は、実は大人の経済力に大きく左右されるが、しかし自分で自分の身を守ることができない。だとすると、いわゆる教育や福祉などの行政がサポートするべきだろうけれど、ブンケンの体制になると、その行政が地域ごとに異なってくる可能性がある、だろう。もうすでに、あるのかもしれない。
またそのとき、どのような行政方針をとるかが、地域の首長におおきく委ねられることになる、かもしれない。もうすでにあるかもしれない。とすれば、地域ごとの差がさまざまのかたちであらわれてくる、かもしれない。
そのあたりが、理屈のうえでかもしれないが、思われる。つまり問題は大人だけでなく、子供。そこまで射程にいれてみなければならないような気がしてきた。
そんな今日この頃。



どうでもいいが、キクチさんの日記やノノさまのシュトックハウ×ンについての文章を拝見・・・おもしろい、興味深い、さすがに感心、などの感情を伴う。なんだかよくわからないが、そういうのを拝読すると自分の関心がそんなに変ではないように思えてくるので困りものである。ちなみにこれまであれこれ文章を作っているが、前提として自分が正しいとは思っていない。


たとえば一つには、やはり声や歌(とコトバや意味)の問題がありそうである。すこし問題をひろげれば、これは演劇や映画までふくむのかもしれないが、そうしたジャンルでの、話される声とコトバをどう捉えるかというようなこと。とりわけ、何を言っているのか必ずしもハッキリしないような語り口を含めて、である。よくわかっていないが、ひょっとしたらそのあたりが、リロン的には空白のような気がしてきた。もちろん完全に空白というわけではないけれど。
もちろん歌もそうだけれど、たとえばよくしらないが口語エンゲキとかかしら?・・・その位置付けとか、ヒヒョーとか、あんまり太刀打ちできていない印象があるというか、ササキさんとかnise日記のひととか、ごく少数の人だけが書いているような印象というか、なんというか。間違いかもしれないが。


この問題は、なんだかいきなり疲れたので、今日はここまで。続くかどうか、よく知らぬ。




どうでもいいが、画像に自分でコメントの続き。面白いかどうかは知らないが続けてみる。
1)ちなみに、非常にどうでも良いのだが、昨日アップした画像は、部分をみてから全体を見ればわかるように、実はかなり大きなものである。実際、作成時のファイルは70センチ×70センチくらいあって、つまり100%の大きさで表示するとディスプレイをはみ出ることになる。これは意図的にそういう風にしてある(ちなみにその前の画像は90×90ある)。縮小されてしまっているので、どうしようもないのだが。
で、よくわからないが、実はそうやってディスプレイをはみでてしまうような画像のあり方が、気になる。つまり、普通に表示すると、全体像はみえない。かといって、ディスプレイにあわせて縮小すると、昨日書いたように色彩や形態が変わってしまう。さらに、半分の大きさなどにしてみると、これはこれで、まったく別物である。
けれど裏を返すと、どれも別物であるのだが、しかし実は同じ画像である。あるいは同じデータ。同じファイル。
それで大きさが変わると、何かが変わる。とすると、ではそれは一体なんなのか、何が変わっているのか、何が同じなのか。・・・よくわからないけれど、そのあたりのあり方というか様態が気になるし、面白い次第である。だったらどうしたといわれると、良く知らないけど。




2)これもかなりどうでもいいのだが、やはり作ったものについての説明はむずかしいものである。どうしていいのかよくわからない。
たとえば、いきなり引き合いに出すとヘンタイ伯父さん(←クロソ×スキー)は絵も描いているが、同時に画家についてのフィクションもある。そこで出てくる画家は、かなり本人に近いのだが(たとえばルクレティアの陵辱のような主題など)、しかし一方でかなりフザけた設定である。
具体的にはトネールという画家なのだが、その経歴が3人の師がおり、たしかアングル、シャセリオー、そしてクールベである。・・・で、実はこれはかなりメチャクチャな組あわせだと思われるというか、あえて言えば共通点はエロい作品が多いというくらいだと思われるというか。正直、最初にその文章を読んだときは、ずいぶんフザけた設定だと思ったりした。



で、何が言いたいかというと、つまるところそういう説明の仕方をしないと伝わらないものもあるような気がしてきたわけである。もしくは、自分でもやってみるかとかんがえるというか・・・良く分からないが、そういう説明の仕方が一番分かりやすいような気がしてきた。フザけた説明といっても、ひょっとしてそれなりに真剣にかんがえたのかもしれないと思い直してみたりする昨今である。


で、あえてやってみると。つまるところここでアップしている画像を誰かつくった人がいるとしてみよう。よくわからないが、そういう人物を設定してみる。
そうすると、たぶんその人は、バーネットニューマンとウォーホルの影響を受け、そのあとでジョンケージとフィリップ・ジョンソン(←建築家)の影響を受けたと思われる・・・よくしらないが、たぶんそうだ。
ちなみにここでのミソは、これで建築家がミースではなくて、フィリップジョンソンであることである。つまり、例えば「ガラスの大聖堂」のような、見たままの作品というか、だからどうしたというようなところで考えはじめているような、そうした関心のあり方である。どうやら、そのような問題関心がある。


なお、念のために言っておけば、この3人(ないし4人)をつなげるのは、たぶんオーソドキシーとしてはムチャクチャである。そんなことは分かっている。が、しかし、なんとなく繋がっている・・・。
あるいは、別の角度からいうと、適当に固有名詞を並べているわけでもない・・・よくわからないが、そのような固有名詞がでてきて当てはまってしまうのである。最終的にそのへんは、よくわからない。



とはいえ、本当にそのような人物がいなかったかどうかは、また別の問題だろう。たしかにニューマンの抽象表現の影響を受けたあとで、まちがってポップの衝撃を受け、さらに地理的に移動して別種の影響を蒙った人物が、いないとは限らない気もする。さてどうだろうか。
あとちなみに、でてくる固有名詞にドーセー愛者が多いような気もするが、その人物についてはたぶん必ずしもそうではないけれど、そのかわりにどこかヘンタイの気があるような気もする。レッドゾーンで。
そうした人物。そうした人物を想像してみよ。



というかなんというか。よくわからないが、どうやらこのへんが解説のおそらく限界である。たぶん伝わるような気もしたりしなかったりするわけだが、まあいいや。とりあえずこの話題は、ここで終了。




そんなかんじで、いたいけになる気分が充実してきた昨今である。とにかくがんばりたい。何についてかといわれると、途端におぼつかないのだが。


というわけで、適当なかんじが満載なのだが、
つづく。