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どうでもいいが、寒い昨今である。こんなときは甘味など食してほっこりした気分になりそうなので、むしろレークサイドマ―ダーケースなどを見てうすら寒い感慨を味わいたいところだ。どこで上映しているのか知らないけれど。


そんな今日この頃。



どうでもいいが、数日あけてみたのだが、例によってというか、やはりというべきか、つくってみた画像についてまったくメールが来ない・・・あのー、無視されたいわけではないので、何か感想などありましたらメール下さい。
非常にどうでも良いのだが、それでいうと、ひょっとして前から何度か「目立ちたくない」と書いていることと関係しているような気がしてきた。こうした問題は、自意識の事柄として理解されると単に面倒だが、良く考えたらそういうことではない気もする。
たとえば、ここで言っている「無視される」ということの反対語は、しばしば「ちやほやされる」ことのように思われるわけだが、個人的には必ずしもそうではない。というか、そういう風な理解について反対しているわけでもないし、またそういうことを言う人がしばしば自己承認欲求のような問題を取りあげたりする。で、それについても特に反対はしない。


ただ、個人的には、そうではなくてどちらかというと居酒屋のお喋りのようなものをイメージしている・・・つまり、たとえば良く知らないのだが隣の席の人となんとなく話してみたりして。あるいは適当に盛りあがっているコールなどを一緒にしてみたりして、そんなかんじで話したりしなかったりするわけである。
それは、たぶん自己承認欲求とは、おそらくあまり関係がないような気がする。だからといって無視とかでもない。ではその反対がチヤホやされることかというと、別にそんなところでチヤホヤされる意味もなかろう。というか、「チヤホヤ」の意味自体がわからん。居酒屋で良く知らない人とのトークにおけるチヤホヤ・・・よくわからん。


で、何かと言えば、それは単なるやり取り・・・だろうか。それくらいで良いではないか。
ただ、良く分からないがなんとなく、ネットではこういうスタンスは、即座に「目立ちたい」と受け止められそうである。あるいは承認欲求が丸出しだとおもわれそうである。しかし念のためだが、そうではない。どちらかといえば、何か他のものをマルダシにしたいというか、もうすでに何かが丸出しになっている気もするのだが、そういうことを言いたいわけではなかった。



とかなんとか。要するにメール下さいと言う内容であった。というか、何かつくってみたら感想を求めるのは、それ自体として普通の気もするけれど。だからといって評価してほしいとかそういうことを求めているわけではなかった。
たとえば、沈黙の回数を指定する、というアイデアは、それなりに変わっているかもしれないとか思ったりするわけだが、どうなのだろう。・・・そのへんの素朴なところからお願いします。みたいな。


そんなかんじ。





非常にどうでもよいのだが、唐突な思いつきメモ。
1)どうでもよろしいが、個人的な関心として、どうも「集団性」のようなものが気になる昨今である。ここでの範囲は、ある種の作品とか、そういうのについて。
このへんは、なかなか難しい。つまり、たとえば現代アートみたいのは、集団性というか、単純に「集団のイメージ」のようなものを、どのように処理してきたのだろうか、というような興味である。ひょっとして、けっこう排除しているのではないか。
たとえば、前回に無理にあげたクー×ベとか、19世紀の作家はけっこう集団のイメージみたいのを取りあげている。piカソやmaチスも、けっこうそういうのがある。ワラワラと男女がいる、みたいな感じで。
で、それがある時期から、急激に一人称にかわった印象・・・一人称と言うか、「わたし」のあたまの中の複雑さと言うべきか。正しいかどうか分からないけど、どうも集団というのがあまり思い付かない。あたりまえだが集団を描けばそれでいいというわけではなくて、主題と手法が交差するところで集団をどう把握するかということが問題である。
いいかえると、集団をとりあげると、おそらくどこかに必ずある種のわい雑さのようなものが付きまとうと思われるのだが、なんとなくそういうものを排除しているのではないかという気もするわけである・・・ある種の「純粋」さの追求と言うか。それが、一人称の追求とともに行われたというか。
あてずっぽうだけど。とりわけgリーンバーグが誉めた人ほどそういう感じがある気がするのだが、どうなのだろう。このあたりもよくわからないのであった。


ちなみに、このあたりはヘンタイ伯父さんもけっこう微妙そうである・・・ただ、これを詰めていくと、やはりランコーの問題が浮かびあがる。もう否応なく集団的になってしまう身体のイメージの問題。このへんが、やはり重要かもしれない。
何について重要なのかいまいちわからないが。あるいは、このへんで何かが丸出し。



2)思い付きメモ2。
ついでに言うと、こういうレッドゾーンの点では、しばしば、身体(ないし姿勢)と、それを成立させるためのコトバの問題があげられるようである。
で、これについてちょっと思うのは、もうひとつ視線がどうなっているかというのが気になる。つまり端的に言うと、絡まりあう姿勢と身体、そこで発せられるコトバにくわえて、それぞれの身体が、一体どのように、何をみているのか、というような問題である。あるいは、姿勢が絡まりあっているとき、それぞれの主体は、一体何処を見ているのだろうか。それは一つなのだろうか。それとも、ひょっとして分散しているのでは?もしくは、イメージの中にそもそも映り込んでいないとか。



そんなことを思い付いたり忘れたり、思い付いたフリをして忘れてしまったりする昨今であった。はて何を書いたっけ、みたいな。




とかなんとか。寒い。眠い。腹減った。とか思わず呟いてしまいそうな寒さである。こんなときは、部屋を温かくしながら冷たくなってしまうような映画などみてみたいところだ。


というわけで、そんなかんじで。なんか分からないがダラダラと、
つづく。