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どうでもいいのだが、今日も空腹である。ヒナアラレなどを食べてみる機会を逸してしまったことに、今、気づいた。こうなったら対抗してココナツカレーでも食したいところである。何に、どのように対抗しているのかは良く知らないが。


とかなんとかいう今日この頃。




唐突だが。
1)どうでもいいのだが、ちょっと前に戻って感想的なメモ。前にレクイエムがどうこうと書いていたのだが、その続き。


で、やはりこんな日にちに合わせたレクイエム的な音楽は、あんまり無さそうである・・・実はもしかしてポップス的な世界において、ひょっとして怒濤のように悲しい曲が連発されるのではとか予想していたが、そんなことは全くなかった・・・。どっちかというと、がんばろう的なものが多い。すごく多くて、ちょっと驚く。まあそういうものかも。とかなんとか。



ただ、どうでもいいといえばどうでもいいのだけれど、個人的にはちょっとここは、こだわるポイントである・・・上手く言えないけど、何かあっても良いんじゃないかという気が、しなくもない。というか、個人的にはもうそれは「大音量の音楽」で終えたといえばそうなのだけれど。
言い方をかえてみると、ここで考えてみるレクイエムと言うのは、追悼の曲である・・・つまり良く言われる「あの日」を思い出すというよりは、もっとそれ以前の思い出や想いを思い出すということ、かもしれない。そうでないかもしれない。
あるいは、あんまり良く知らないので適当なことしか書けないが、有名なモオツアルトのレクイエムとかでも、レコルダーレという節があり。それはラテン語の(思い出す)の命令形、つまり(思い出しなさい)ということであるらしいことを知っている。で、ではそれは一体何を思い出すのか。そのへんが問題と言うかなんというか。
たとえば、そのときの(思い出しなさい)は、よくわからないけど、たぶん誰か具体的な個人が、ある個人のことを思い出すというような意味であって、それ以上のことではない気がする。まちがっているかもしれないけど。裏返すと、個々人の悲しみは内に閉まっておいてということではなくて、たまには、そういう悲しみや思い出も良いんじゃないかというか。
そんなことをボンヤリかんがえる昨今である。つまりある日付けに何かを思い出すと言うときに、では何を思い出すのかという問題というか。そういう問題ってないかしら。ないかも。あるかも。よくわからないかも。



ちなみに、今さら21世紀でレクイエムなんて無理という説もあるかもしれない。で、そのさい個人的になんとなく思い出されるのは、知っている人は知っている「ソングス・フォー・ドレラ」というアルバムである。ルーリードとジョンケールによる、ウオーホル追悼の企画の作品。良く知らないけど、このへんの出会いがベルベッツの伝説であることは良く知られている。二人だけで演奏した、ちょっと変わったCD。
で、これも知っている人は知っているが、基本的にはずっと伝記的な音楽がつづくのだが、最後にいきなり、なぜか一人称の音楽がはいりこんでくるのだ。しかもルーリード個人の思い出と挨拶だけの歌詞で、最後の最後は別れを告げて終る。
これはきわめて個人的な歌のようである。そもそも二人で演奏しているのがミソなのに、無理やり一人だけで歌うとか、どこか色々とおかしい部分はある。あるいは、こういう企画自体があざといとか、そういうヒハンもあるだろう。それはそうかも。


で、何が言いたいかというと、そういうヒハンはそうだけど、にもかかわらず、どうやら追悼というのはいまだに可能らしいということである。それは、クニをあげてとか、皆で輪になってどうこうというのでは、ないかもしれないけれど。個人的な追悼と別れの挨拶は、できないことはないかも。というか、できるかも。
・・・みたいなことを、前に考えていたのだった。どうなのかしら。そういう問題って、どうなのだろうか。良く知らないけど。何かアザトイとか言われそうな予感もしなくもないけど、それも知らぬ。



とかいうメモ。体力ないので、何も解決していないがここで唐突に終了してみる。というか個人的にはもう解決した気もするので良いというか、この問題自体が個人的である、念のため。





というわけで、メモだけで疲れてしまった。もう空腹である。こうなったら魚肉ソーセージなどをモリモリ食べたいところだ。あるいはマカロンとか。両方同時に食べたいわけではない。もちろん、これは業務ではない。
では何が業務かといえば、


つぎにつづく。