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誰が読んでいるのか知らないが、ちょっとだけどうでもいいような文章をつくってみようと思い立ってみた。なかなかに暖かい昨今である。というか昨日は寒かったのだが。だからどうしたといわれると、とくにどうもしない。


そんな今日この頃。



いくつか。たたた立ち読みなどしてみたりしてみなかったり。
とりあえずサチコエムの文章をみてみたりした・・・なにかコメントなどしない方が良いような気がするのでそうするけれど、2月の展示で知らなかったことなど書いてあり。日替わり写真が、それ自体で時間を逆行していたこととか、知らなかった・・・。
というか、よくわからないけど適当にいうと、たまに個人的な関心で音響と視覚の二つの空間がどうこうとか書いてみたりしていたけど、ひょっとして展示としてはその二つで時間軸が異なるのかもしれない・・・つまり音響は直進しているけれど、視覚メディアはそうでないというかなんというか。そんな印象論。
みたいなことを思ったり忘れたりする今日この頃である。



あと立ち読み的に。ササキさんの連載が終って始まっていた。どういう感想があるのかよくしらないけど、終った方は、なにか客観と主観が入り交じったり分裂したりしていて、それにかなりビビったり。というか、これは詰めるとけっこう難しそうな問題かも。とか思ったが、詳細は忘却。
で、新しい方は、これまた難しい・・・詩のはなしとか、納得するような分からないような。
たとえば、良く分からないけどあくまで個人的には、詩についてはこれまで書いたことないけれど、何となく思っていたのはいわゆるゲンパツだけでなくて、ジシンとの関係で捉えたりすることというか。つまり、一時期、緊キュージシン速報が流れて、全員が固まっていたとき、コトバで対抗できた数少ないものが、あの詩だったのではないかというか。あるいは、具体的に人を動かす力さえ持っていたとも言えるかもしれない。
なので、むしろゲンパツ云々よりも、そういうジシンに対抗する強さみたいなところで、どう捉えるかと言うような印象をもった記憶があったりなかったり。いいかえると自然と人工とコトバの問題なのだろうか・・・そのへん、良く知らない。
とか思ってみた。


などなど。





非常にどうでもいいが、アップしてみた画像について、そういえば全然、説明とかしていなかったので、適当な追記とかしてみる。連続してアップした一連のものについて。


で、それについては、コンセプトは別に変わっていないコピぺ中心のものなのだが、実は途中から、よくわからない技術を思い付いて、そういうことをやっていた。あるいは、作業スピードがアップしたのも、そういう点もある。で、それは何かというと。
どういうことかというと、要は、コピぺするとき、それまでは図として使っていた矩形や線分を操作していたのだが、あるときから、同時に地の方についても(図とは別個に)コピぺやら回転やらの操作を加えてみた。で、そうやって操作した図と地を貼りあわせることで一枚の画像ができている。
もしくは、これがどの程度あたらしいのか分からないのだが言い換えてみると、ある一枚の画像から次の画像をつくるときに、黒い線や矩形と、そういう矩形以外の部分をべつべつに作り、それらを別個にかさねたり反転させたりしたうえで、ひとつのフレームの中にペーストして統合させている。要は、図と地の両方を、どちらもある種の図としてとらえるかんじで、グルグル回したり圧縮したりしているわけである。
で、そうすると、地については線がきりとられたスリットのようなものがあるので、そこからその下にあるレイヤーが覗いたりする。あるいは、断片化した線や矩形の破片のようなものが、散乱しながら一つの形をつくり出しているようにも見えるかもしれない。で、それはそういうかんじでつくってみた。


もうちょっというと、具体的には、これは9-cから始まっていて、これはその前の9-bを、黒い線と、それ以外にわけたうえで、それぞれ別々に折重ねたものである。そのさい、あれこれやった後で、最後に両端にあった白い部分を取り出し、それを全面に反転させながらコピぺして画像を覆ってみた。そうすることで、どうやらアレコレ混乱していた線分がスリットから覗くような形で定着したようである。
ちょっと説明がややこしいけど、たぶんこんなかんじ。だからどうしたといわれると困るわけだが。



で、あえて付け加えてみると、こうしたことがどの程度あたらしいのか、よくわからない・・・つまりデザインなりコラージュなりをするときに、図を切り取って加工するだけでなく、切り取られた地のほうについても加工して重ねあわせ、場合によってはそうした地によって図をつくってしまおうという、そういうことである。かもしれない。
というか実際、9-eと9-fはそういう風にしてつくられた。要は、ここで灰色のバーみたいになっているのは、もともとは地の一部としてあった(9-aなど)ものである。それを抜き出して重ねると9-eのようになり、それらをさらに貼りかさねてある形に落とし混んでいったものが9-fである。
ここまで来ると、これはたぶんもうそれ自体が図であるといって良いように思う。で、そういう手法がどういうことか、みたいな。



ちなみに、なにかゴチャゴチャしていてピンと来ない向きには、音楽にあて嵌めてみると分かりやすいかもしれぬ。その場合、たとえばある録音があったとして。
そこから器楽音と、それ以外の環境音を、べつべつに取り出して、相互にコラージュするようなものである・・・と思う。たとえばピアノはピアノで加工して、一方で環境音についても何重にもズラしながら重ねてみたりして。で、最後に両方を重ねてみる、みたいな。
そうすると、ものすごい大音量の環境音のなかから、かすかに加工されたピアノのコラージュが聴こえてくる、というかんじになるかもしれない。ならないかもしれないが、とりあえずそういうイメージ。
あるいは、楽器の音のない沈黙や休符の部分をとりだして、どんどん重ねて沈黙だらけにして、その隙間からかろうじて楽器の断片が聴こえるとか。そういう風である。と思う。



・・・なにか長々かいてみたが、どうやら良いオチが思う浮かばないことに、いま気づいた。だからどうしたといわれると、別にどうもしないのだが。
ただ、どうもこういう、地だと一般に思われている部分をとりだして、そちらはそちらで動かして構造をつくってみるというのが、どこか面白いような感じがしたのである。
あるいは、ひょっとするとオンキョー以後のコンポジションなどで、音符のほうだけではなく、休符の方についても構造をつくって、それらを重ねあわせているような印象があるのだが、それに近いのかもしれない。とかいうと怒られるのか。よくわからぬ。もしくはシュミラクルにおける図と地の構造の問題とかかしら。それはもはやさっぱり知らぬ。


という次第。なんだろうか、これは面白いのだろうか・・・よく分からないけど、まあいいや。とりあえずそういう操作をしてみた。個人的には、そこそこ面白い感じ。なんというか、散逸しつつ、全体の流れがあるようなものができたりするというか、そのへん。



みたいな。唐突だが、腹が減った。






というわけで空腹である。さくらもちなど食べたい。あるいはヤムチャ的な何かとお茶とか。そんなかんじ。


で、何がどんなかんじかわからないので、つまるところ、
つぎにつづく。