つづき(ゆったり目の)

どうでもいいのだが、なんとなく色々回復してきた昨今である。よくわからないが普通の欠伸とかしてみたり。
今日は雨か。ポテチなどを食したい気分である。


みたいな。



というわけで、ジジ問題についても書いてみようかと思ったが、冷静にかんがえるに、これはこれで、よく知らない人から怒られそうなことをうっかり書きそうである。それはめんどい。


あえてひとつだけいうと、あくまで個人的にだけれど、やはりリガイが大きそう・・・たとえば実はケーダンレンは、かなり当初からアレコレの復帰を求めていたはずである。たしか相当はやかった。
で、単純に言って、それが代表しているのは××社で、人数換算すると××人いるはずなので、つまりそのような圧力がシュショウにかかっていることになる・・・のかもしれない。しかも団体はそれだけではないのだから、そのような計算が、どこかの誰かによって行われているのではないかしら・・・ちがうのかしら。


という現状認識。あくまで個人的な。だからといって、何かをするのがダメとかそういうことではなくて、そういう話もありそうというかんじ。だから良いとか悪いとかそういうことを言いたいわけでもない。このあたりは、たぶんかなり難しい問題があるというか、そう簡単な話ではない気もする。
ということを、前からちょっと思っていた。のでメモ。
以上、終了。




などなど。
うぬ。そういえば「カイタイ」について書いてみたが、実はだいたい書こうと思っていたことは、すでに書いてしまった。というか、要するに、そもそも一体どういう内容なのか、取り上げている人があんまりいないような気がしていたのである。ので、とりあえずメモしてみた。
ちなみにつけ加えると、あまり良く知らないが、あそこで触れられているオンキヨウヒハンは、おそらく執筆された当時、かなりの人が共有していたような問題であったのかもしれない。個人的には間接的にメディアをつうじてしか知らないので、よくわからないけど。
とりあえずそのへんかしら。なので、個人的にツッコミを入れると、あの本は中身からいうと「ソッキョーの解体/懐胎」というのではなく、「音響の解体、即興の懐胎」という感じなのではないかと思う。ちがうかしらん。



ついでにつけ加えると、前回の末尾のつづきとしては、要するに作曲とか、あと曲の構造とか、あるいは微細な電子音を使ったあたらしい音楽言語の実験とか、そういうことも、たぶんオンキヨウのなかでは行われていた・・・ように理解している。というか、個人的にはCDと、あと雑誌とかで知っているだけなので、具体的にどのような意図があったかどうかは完全には把握していない。
あるいは、いわゆる沈黙の導入も、「musics」のゲス番長の文章を見ると、サイレンス=環境音の導入ではなくて、むしろ曲のデザインのようなところに関心があったというようなことが書いてある、と思う。なので、これはたぶん音色とはだいぶ違う話・・・なのかもしれない。


あるいは、アイエスオーとかフィラメントとか、もしくはキャプテン氏なる人の起承転結とちがう構造のはなしとか。いずれも(電子音をつかった)音楽言語の実験のような感じがあるとおもうのだけれど、どうなのかしらん。
というか、このへん、実はササキさん自身がプロデュースしたりしているように見えるのだが、なぜか「カイタイ」ではざっくり切られている・・・よくわからないけれど、たぶんそれほどに「フェチ」の問題が大きかったのかもしれない。
あとよくわからないのは、フィラメントが、なにかちょっと前にイシバシさんのつぶやきを見ていたら、「どれも何らかの意味で作曲されている・・・はず」というようなことが書いてあって、そのへんはマニアックな理解をするなら、たぶんけっこう重大問題かもしれぬ。あまり分からないけど、だってつまりW学派とほぼ平行して、すでに作曲作品で色々やっていたということになる・・・のかしら。そうすると、もう全然「音色」と「聴取」という枠組みを超えちゃっているようでありそう。これはでもたぶん本人に訊かないとわからなそうである・・・
あと時間の問題とかもあった。そもそも演奏時間をどのへんにするかとか、そういうところの話も何か読んだこととかある。つまり、そもそも演奏時間がどのくらいとか、一般的に想定されるものはとりあえず一旦除外して、あらためて考え直すとか、そのような話。これも、たぶん音色と聴取の話ではないと思ったり。



というわけである。つまり、単に音色と聴取だけではなかったように思われるし、あるいはある種の組み合わせについても、そもそも曲の構造を問題にすることで、それに対応するようなものもあったのではないかと、何となく思うというわけである。
たとえば「カイタイ」1部では最後に、演奏を組み合わせから攻めた挙げ句のまとめがある。そこでは、音楽を10桁の0〜9までの数字によって構成されるものとし、そのうえで、つまりはどのような即興がされようとも10×10の(有限の)組み合わせの一つにすぎない、と結論付ける。
で、それはそうかもしれないのだが、個人的には、問題だったのは0〜9までのどの数字かだけでなくて、そもそも何桁にするかということも(たぶん)問題にされていたのではないかと、そういうこと。構造とか時間とかいうのは、たぶんそういうことではないかしら、とか。そのへん、一体どうなのかしらん。
で、もしそのように桁数を操作しうるとしたら、もちろんその桁数は、無限までありうるとおもうわけである。実際にそういう演奏をするかどうかは別だけど、理論上の問題として、アリではないかしらん。





というあたり。とりあえずこのへん。あと、あんまりよく分からないけれど、こういう風に捉えてみれば、実はオンキヨウで幅広く試みられていたことは、「カイタイ」の第2部の問題とほぼ同じようなことではないかとなんとなく思うのだけれど、ちょっと詰めるのが大変そうなのでこのへんで。
まあ、あえて言いたいことがあるとすれば、要するにそんなにハードにジコヒハンすることはないんじゃないかと言うことなのかもしれないわけだが・・・・・・・・・まあいいや。そういうこと、誰も思わなかったのかなあ。そっちの方がよくわからん。



ということで、以上で。ちなみに、上に書いたことと、今の最近のはなしとは、個人的には別問題である。今日もさっきツノダさんの展示に行ってきた。ちなみに激しく迷子になり、そのことでアタマが一杯である。とりあえず、異様な音像と音響を孕むCDをもらってきたが、どのような状態で聴けばいいのかわからん・・・とりあえずじっくり。


という次第。みたいな。そんなかんじで。




とかなんとか。ねむくなってきた。というか空腹である。いまだに外は雨が降っている。ようである。
突然だがもんじゃ焼きなどたべたい。あるいは冷や麦。暑いせいか。そうかも。そうでないかも。


というかんじ。どういうかんじかは、よく知らない。ので、
つぎにつづく。