つづき(はじめ)

はてさて。誰が読んでいるのか知らないが、雨が降ったり止んだりである。というか暑い。セミなど鳴いている。昆虫採集にうってつけの日々。かもしれない。そうでないかも。はてさて。


みたいな今日この頃。例によって、やはりいつもと同じく、ひとりで部屋の中にいる。




とりあえず、明日からの準備はすでにできた。というか、準備はとくに必要なかった。客である。あるいは、普通に街にいる。ただそれだけで、それだけなのだから、とくに準備は必要なかった。


ほんのわずかだけ、いくつかのことを思い出してみる。食べ物のこと、体内の蓄積のこと、水のこと、あるいは生活のこと、あるいは職場のこと、あるいは生活と職場以外のこと。
そうしたことと、自然と人工のことや、そうしたこととの関係とのこと。あるいはそれ以外のこと。


いや、ちがう、そうではなく、そうしたことは思い出す必要もなかった。そうなのだから、とくに準備も必要ない。




というわけで、ただあちこちを移動してみるだけで、それもとくに準備は必要なかった。なんとなくあれこれと昨日、ちょっと自意識めいたことを述べてみたとして、それは単なる回顧であって、明日からはとくに関係がない。いまいち誰が読んでいるのか知らないのだし、一旦それはどこへやって。
ただ行って、のんびりとかぼんやりとかして、よく知らない人と話してみたり、ぼんやりしたことについて訊いてみたりしなかったりしてみよういう、ただそれだけで、とくに準備も必要なかった。


はて贅沢をいえば、そういえばここでなんとなく触れるとかコメントみたいなコトバの組み合わせをしてみたコトバの使い手のひとたちと、うっかりどこかで話しをしてみたいと思うのだが、はて相手がこれを読んでいるのかどうかわからないのだから、それはそれでとくに準備も必要なかった。どこかで会えば、そのように。会わなければ、そうしたこと。



そういうことを考えてみると、ゴ×ールの映画にでてくる、奇妙なシーンなどを思い出す。主人公の誰かが、それなりのアイデアを練り続けてきた人に会って、まったく話が噛み合わないまま、わずかの時間を過ごしているようなシーン。たしかあちこちに出てくる。
あれはいったい何だったのだろうか。なぜ主人公は彼らに会いに行ったのか。なぜゴ×ールは彼らを出会わせたのか。なぜ出会ったのに、すれちがっているのか。まったくわからぬ。そのようなこと。
そうしたことを思い出すのに、やはりとくに準備は必要ない。


とかなんとか。





というわけで。
結局のところ、例によっていつもと同じように今日も部屋の中にいる。だからといって、いつも部屋の中にいるとは限ったわけではない。だからといって、今日は部屋の外にいるというわけでもなかった。



だからどうしたといえば、とくにどうもしない。ただ、部屋の外にいるのも、部屋の中にいるのも、とくに準備は必要なかった。すくなくともトーキョーでは。



だとしたら、何なのかといえば、つまるところ、
つぎにつづく。