文章 時間 仮


ふたたび、やや間があいた。あいかわらずメモ。



さいきん、興味があってベケットの散文を読んでいる。とくに目的もなく。コンプリート・プローズのような本。けっこうかなりきょうみ深い。
とはいえ、とくにアカデミックな検討やコメントをしたいわけでもない。するつもりもない。ただなんとなく、謎のような疑問のようなものを持ったので、それをメモ。



で、その疑問は、とても簡単なものなのだが、一体この文章は、どれくらいの時間でよまれることを想定しているのだろうか、というようなものである。一瞬?それとも、長時間だろうか。それとも、ひょっとして永遠・・・あるいはループして終わりもなく巻き戻されるものなのだろうか。


この素朴な疑問は、たぶんとても簡単なものだけど、なかなか解くことができない。アカデミックなアプローチでいけば、はたして解けるのだろうか。いまのところ、ちょっとそれもわからない。
この疑問をおしすすめていくと、だんだん簡単ではなくなってくるような気もしてくる。たとえば、その文章にある時間の概念が、はたしてどうなっているのだろうかというような疑問に繋がったりしてくるのだ。よく知られているが、ベケットの散文では、未来と過去と現在のそれぞれについての可能性がふくまれており(・・・だろう、・・・だっただろう、・・・となるかもしれない、という言い方がおおい)、そこを追いながら読んでいくと、そもそも一体この文章の位置がどこにあるのか、いきなりわからない。話者は現在から語っているのか未来から語っているのか、それすらもわからないようだ。あるいは、そのような内容が、いわば回想形なのか、独白なのか、読みあげられているのか・・・そのようなものがすべて不明におもわれてくる。


そうしてみると、つまりこの文章がいったいどれほどの時間で読まれるべきものなのか、かなりあやふやになってくる。たとえば、これらの散文を朗読ものとしてCDなどに収めてみた場合、その収録時間はどれくらいなのだろうか・・・3分?5分?どれも文章じたいは短いものばかりだが、はたしてそれでいいのだろうか・・・




とりあえず、いまはこの疑問のところにとどまっていて、だからどうしたわけでもないのだが、ただそれだけである。というか、いったいこの文章をあなたがどれくらいの時間で読んだのかということについても、よくわかっていない。わかったからといって、どういうことでもないような気もしているし。


・・・いや、そうではない。そうではなくて、じつはなんとなくの想像があるのだった。つまり、それはたぶん一瞬で読まれるものではないかというあたりである。正確には、一瞬ではなくて、思考が回るほんのつかのまの時間、突発的にモノを考え整理してあいまいなイメージが生まれるくらいの、それくらいのわずかな時間。あれは、いったいどれくらいなのだろうか・・・0.5秒か、あるいは3秒か、あるいはもっと長いのだろうか。
そういうあてずっぽうだけを考えてみた。でもこれはたぶん答えではない。




(たぶん)つづく。