ゴルジェの衝撃

 ゴルジェ(Gorge)というジャンルがある。2012年あたりから日本に上陸した(とされる)クラブミュージックあるいはベースミュージックの一ジャンルだ。
 その特徴は、激しい硬質のパーカッションを中心に(場合によってはそれのみで)できていることにあり、その特質を生かしてジャングルからクラウトロックまで、多種多様な音楽ジャンルを呑み込みつつある。ここでは、そのゴルジェについてメモ程度に書いておきたい。



 まず簡単にまとめてみよう。ゴルジェの発祥は、正確にはわからないがネパールの山岳地帯にあるクラブであるとされる。生み出したのはDJ Nangaなる人物で、峻厳な環境を反映した硬質なタムとパーカッションの連打だけでできたクラブミュージックを作り出した。ゴルジェの語源は峡谷などを意味する地理用語であるとされている。
 それが日本に上陸したのは、上記のように2012年前後であるとされる。持ち込んだのは現在hanaliとして活躍しているDJ・プロデューサーで、さらに専門のレーベルGORGE.INがネット上に出現、強烈なタムの連打によるトラックを量産し、ネット放送局DOMMUNEにも数回登場した。
 それとともにゴルジェは日本独自の展開を開始しており、活動領域も日本各地さらに海外とのコラボレーションまで広がっている。そのトラックは多様で、ゴルジェの音楽家はブーティストと呼ばれるが、各ブーティストごとに異なるスタイルを持つ一方で、ブーティストによるゴルジェミックス集はOne Pushと呼ばれ、それらは文字通りに開始と同時に休むことを知らず上昇し続ける音楽性で共通している。またその主な活動レーベルであるGORGE.INは、特異なコンピレーションでも知られており、万葉集をアイデアにした「Ten thousand leaves」や、昨年末には音頭を主題とした「Ondo Dimensions」を発表して、一躍、現在のトライバルミュージック再評価の最先端に立つことになった。
 また、日本産ゴルジェの主要なモチーフとしては、タムを強調した音楽性にくわえ、その発祥に由来すると思われるが、山岳および登山、さらに関連して岩石や自然環境への傾倒が横溢しており、岩盤や植生などをテーマにしたアルバムはそれ自体、ある種の異様さをまとっているように見える。



 さしあたり、こうした特徴を持つと思われるゴルジェだが、その衝撃はより多様に展開している。そのいくつかの点にふれておこう。
 まず一つは、とりわけ日本産ゴルジェの多様で貪欲な他ジャンルへの拡張である。特に、日本に上陸した2012年には、即座に同時期に活発化しはじめたジューク・フットワークのDJたちと共振し、すぐに「ゴルジューク」なる合体ジャンルを出現させた。中でもそのゴルジュークの祖としては熟村丈二なる人物が登場し、ゴルジューク用サンプルトラックを含め普及に励んでいる。またこれ以外にも、硬質なパーカッションの連打(によるクラブミュージック)という点はインダストリアル、ジャングル、トラップといったダンスミュージック各種とも親近性があり、それぞれのDJが自由にゴルジェに参入している。くわえて、そうしたゴルジェトラックにボイスを乗せる試みとして、ラップ(ゴルラップ)やボカロの導入も試みられており、むしろゴルジェはこうした新旧のダンス・クラブミュージックが混交する見本のような様相を帯びている。
 こうした性格は、おそらくゴルジェの、音楽性にくわえて、設定されている形式にもよっているだろう。実際、DJ Nangaが定義したゴルジェには要素が3点しかなく、1.タムを用いること 2.それをゴルジェと呼ぶこと 3.芸術ではないこと、とするのみの拘束しかないという。実際、この定義に従えば、タムを用いた音楽は、それをゴルジェと呼べばどれもゴルジェであり、芸術としては存在しないが音楽としては成立することになる。多様な他ジャンルを吸収する理由は、おそらく主にここにあると言っていいだろう。




 いや、もう少し詳細に踏み込もう。個人的にゴルジェが興味深いのは、いま上記したこの規定にある。つまりタムを用いてそれをゴルジェと呼べばゴルジェが成立する、という定義は、ごく通常の意味で捉える限り、他ジャンルの中にあるメタジャンルのような場所に位置づけられるからだ。
 つまり言い換えれば、ゴルジェというジャンルは、ジャンルでありながらも実際は形式でのみ成立している、さらに言い換えれば、中身のない音楽であると言ってよいかもしれない。極端に言えば、ネパールの山岳地帯にいた(とされる)DJ Nangaが存在しなくとも、タムを用いた音楽があれば、それはたちまちゴルジェになってしまうのだ。
このことは、日本におけるゴルジェ推進者によって、実際にそう認識されている。実際、彼らは上記の簡略な形式にしたがって古今東西の音楽の中から「ゴルジェ」を認識し発掘・アーカイヴィングする作業に着手しており、そこには一世風靡セピアからクセナキス、カンをはじめとするクラウトロックからドンキーコングのBGMまで、「ゴルジェ成立以前に存在していたゴルジェ」を膨大に渉猟している。ルーツ・ゴルジェ・アーカイブスとされるその試みは、今後もおそらく拡張していくだろう。
 これは、実は裏返せば、歴史的なアーカイブだけでなく、未来についても同様である。つまりいま現在うまれている新しい音楽ジャンルや、あるいは今後うまれてくる未知の音楽領域においても、ゴルジェはそれがゴルジェと認識されれば存在することになるだろう。事実、すでにふれたようにフットワークや日本語ラップといった最新のジャンルの中からもたちまちゴルジェは出現したのである。おそらくこれからも、そうした他ジャンル内でのゴルジェ発掘はあり得るだろうと思われる。
 繰り返そう。きわめて興味深い点の一つは、ゴルジェが、じつはその簡素で言語化された定義だけで存在している、つまり形式として存在している音楽であることだ。この形式にそえば、あらゆるジャンルの中に「ゴルジェ」が見出せる。ゴルジェとは1ジャンルだが、実はそれは、他のあらゆる音楽ジャンルの中に息づき生成してくる、空虚なメタジャンルというべきものである。




 だが、これだけではない。こうした、いわばメタジャンルとしての、形式として存在する性格にくわえて、一方でその内実からもう一つ興味深い点を挙げておきたい。
 それは端的に言えば、ノイズとの関連性にある。いやこれはきわめて主観的な評価だが、ゴルジェの(実際の)トラックが持っている音楽性には、いわゆるノイズ・ミュージックと近い要素が多くある。実際、そのトラックは膨大な情報量を持ち、大音量・高速・低域の強調・雑音を含んだ電子音の乱雑な使用といった、ある意味で攻撃的な印象を与える音楽性を持っている。それは現在のクラブミュージックにある程度は共通した要素だが、とりわけゴルジェのトラックではその峻厳さ過酷さをモチーフにしたことも手伝って、圧縮された攻撃性と祝祭感が入り混じった冷徹な高揚というべき性質を帯びているだろう。
 それらのトラックを聞いていると−とりわけミックス集であるOne pushを聞いていると−、おそらくここにはノイズミュージックが一度取り上げ、しかし部分的に摂取しながらも通り過ぎていった要素が多く見つけられるように思われる。それは、端的にはパーカッションの乱打であり、トライバルなパーカッションの打音のもたらすノイジーで攻撃的な、また無慈悲な非人間性の表現といったものである。実際、硬質に加工され高速に編集されたトライバルなパーカッショントラックから得られる印象はほぼノイズミュージックのもつ複雑さや多様さやうねりに匹敵しており、「あらゆる雑音はノイズである」といったある種の循環論法による理論武装なしで、屈託もなく複雑さと自由さを得た音楽様式があることに率直に言って驚く。それは、こう言ってよければ、ノイズミュージック以後の、しかしノイズだけを用いるわけではなく生み出されている、音楽外へと向かう音楽の一つの形なのだ。
 言いかえれば、そのほぼすべてのトラックで乱打される、極度に編集されたパーカッションは、ノイズミュージック以後にあって、電子音の閉域にこもることではないやり方で世界の雑音を汲み取っていくさいの、一つの、しかし当面は他に見つけることのできない、稀有な方法であるだろう。



そう、だからそのジャンルは、今もひそかに他ジャンルの中で己を生成しつづけており、そしてそのいたるところでは峻厳な山麓の向こうを目指して打ちつけられるタムの響きがこだましている。





関連リンク
http://gorge.in/

ルーツ・ゴルジェ・アーカイブス https://jp.pinterest.com/oiplabel/roots-gorge-archives/

ゴルジェ(Gorge)という現象、そしてそのカルト的熱狂 http://hase0831.hatenablog.jp/entry/20130404

ROCK MUSICK tumblr http://hanalirockmusic.tumblr.com/