11月27日、大宮。

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雨の予報というのは嘘だった。空は快晴で日が差していて、校門の向こうの校舎の中庭では、すでにブラスバンドの演奏が始まっていた。パーカーやキャップやカーゴパンツといった小学校の風景に似つかわしくない服装をした人々が、校門の近くや、もっと手前の道路にかかる歩道橋の階段に立って、ぼんやりとブラスバンドとそのすぐ前に座した、先生や生徒や家族や友人知人といったらしき客席の光景を眺めていた。


脇を見やれば音響係がおり、マイクを握った女性も控えていた。演奏が終わるとブラスバンドの生徒たちが(どうやら中学生らしかった)、ぞろぞろと退出させられ、かなりの人数が晴天の下で校門の方まで押しやられてきた。みな楽器を持ったままで、終わった安堵か、成果についての不安と期待か、解けきらない緊張か、ぼんやりした表情で肩を揺らして立っている少年少女たちの姿は、解釈を拒むものがあったかもしれない。マイクを握った女性が、マイクを帽子をかぶっている有名な音楽家らしい人物に譲ると、何かが発話されたが彼らは聞いていないようだったと思う。だが、しばらくすると、その発話の内容が彼らを再び集合させようとする号令であるらしいことがわかり、彼らの大半は再び先ほどの演奏場所へと戻っていって、残ったものは面倒そうに歩道橋の階段に客に混じって観戦を気取ろうとしていた。集団は、校舎と、校門を外れた向こう側の歩道橋に分かれた。


そこから始まったコンダクションは、その集団の分かれ方から、それまで見たことのないものになった。一方は中庭、一方は歩道橋の中空にいて、コンダクションはその双方にめがけて発信された。展開はほぼその場で決まっていったが、中庭に集まった管楽器と打楽器、鍵盤楽器に対して、歩道橋の階段側には管楽器だけが軍楽隊かのようにラッパを響かせて音響は空中を横切っていく。コンダクションの説明がそのまま演奏へと展開し、一つの合図が演奏になり、また別の合図が演奏になり、それが連なりあって即興のオーケストラのコンポジションを作り出してゆく。あるひとつの音楽が、ループする鍵盤や打楽器のリズムに、ほぼ真逆の位置からラッパ群がメロディを乱雑に繰り出してゆくなか、ゆるやかな混乱状態として街路と校舎をまたぐ空間上に形成された。まるで乱痴気なリゲティの『プロメテオ』を思わせるその特異な音響空間は、これから始まるアンサンブルズの幕開けに、まさしくふさわしいものだった(*1)。




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2016年の11月27日だった。大宮の小学校で、埼玉トリエンナーレの一環としてアンサンブルズ・アジア・スペシャルが開催された。企画開催を務めるスニフ、チーワイ、大友にくわえて、チェンマイのアーノント・ノンヤオ、バンドンからデュト・ハルドノ、東京から牧野貴が参加、ワークショップとパフォーマンスを繰り広げた(*2)。


会場は、小学校の校舎というよりはその奥にある体育館で、コンクリートの階段を上り、土足は脱いで会場に入ることになっていた。会場内は、体育館から想定される明るさはいったん排除され、薄暗い屋根付きの展示倉庫といった風情で、壇上は緞帳が下され、すべての装置や器具はむき出しの床の各所に点在して配置されていた。外気が壁や窓から伝わってくる寒さに室内は満たされており、さながら体育館の廃屋というべき場所で、すべては進行した。




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パフォーマンスと展示という点からすれば、その重点はパフォーマンスにあっただろう。場内各所に置かれた品々はそれ自体でも一種異様な展示作品という見た目もあったが、順次そこに参加者が手を入れ、装置を作動させることでパフォーマンスがおこなわれ、それによってゆるやかに企画は進んでいった。
一方で、そこにはあまり明確な起点と終点を持たず、具体的に起承転結を感じさせることのあまりない形で、個々のショーケースというよりは全体が一つの大きな形を作り出していくという性格が強かったように思う。むしろそうして形作られる一つの流れが、アンサンブルズということになるのだろう。(なお、こうした印象には、特定のステージが用意されず、場内各所で順次おこなわれていったという点も強く作用していただろう。またいわゆる「客席」も用意されず、観客は立ったり床に直に座ったりして鑑賞したり、あるいは時間をつぶしたりした。出入りも自由であり、ふと出ていって、また適当に戻ってくることもできた。*3)


一方で、ショーケースとしてみれば、しかしそれは「アジア」という性格を強く感じるものではなく、アジア各域にいる音を素材として用いる芸術作家たちが集っているという感じだった。むしろ、実際の点からすればアジア全域を含めた地域で今や広く美術や音楽の情報は共有・流通されており、サウンド・アートやインプロヴィゼーションをふくめて、そこにアジアらしさを追求しようという方が間違いなのかもしれない。

実際、ノンヤオのパフォーマンスは映写機と若干の装置を追加して映像を投影しつつノイズを発生させるものであり、下りた緞帳に投影される光の円や斜線と操作が引き起こすアナログなグリッチというべきノイズが、不規則に合致しないまま繰り広げられた。そこには、少なくとも理論的な点でのノイズ、音響、視−聴覚に関する表現上の問題が組み込まれていたといっていいように思われた。
またハルドノの古い録音テープを用いた大掛かりな演奏は様々なループに突如発生する巨大な炸裂音のようなノイズで、おそらくテープに施された加工が偶然に引き起こす雑音を引き受けつつ操作しつつ展開された。ここでも、やはりかつてのグリッチや偶然性、音声と記憶、複製と現在といった多様な問題が折り重なっており、今やそうした問題について地域を分けることなく向きあう時代が来ているのだと、無遠慮なまでの轟音で会場全体が振動する様に、そうした21世紀の現在を感じたりもした。




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ただ、しかしながらこうした曖昧な印象を突き抜けて残る感想としては、事前に行われたらしいワークショップの成果やその作品が素晴らしかった。とくに、ハルドノがおこなったワークショップ参加者による声のパフォーマンスは、埼玉から関東にまたがる鉄道路線を数えながら、駅名を呼ぶことがそのまま歌に転化するという仕組みで(単純化して言えば人力テープループというところだろう)、数人ごとに異なる路線を追いながら重ねられる駅名の呼び声は、チャーミングなモワレといった形で、その場所と参加者の複数性を思わせた。


また、ノンヤオのワークショップで作られたとされる加工された自転車は、電力のない自転車に電子ノイズの発生する機器をくくりつけ、サドルを回転させるごとに各装置がおびただしい雑音を撒き散らしていくもので、すべてのパフォーマンスが終了したあと、立ち去る観客の眼の前でぐるりと体育館内を周遊し、さらに会場を出て道路や屋外で走り回り続けた。すでに日が落ちかけた校舎とその周囲の路上で、蓄電された電力が尽きるまで続けられたというそのノイズ自転車の姿は、ユーモアとどこかノスタルジーを帯びて強く印象に残っている。


中でも特記すべきは、牧野による映像作品だった。小学生の低学年との共同で作成されたというフィルム作品は、むき出しの空のフィルムに小学生たちが直接、インクやペンで自由に書き込みをして、それをそのまま上映するというものだった。1秒24コマの高速回転で、ほぼその書き込みは視認されないが、ここには彼らの考えた美学的な意識が反映されています、という事前の説明で内容は理解された。
だが実際に上映された作品はそうした説明をはるかに裏切るものであり、高速度で変化する点描と色彩の塊が、点滅とうねりをもって蠢めく巨大な流体のようなイメージとして展開した。瞬時に現れては消えるいくつもの黒い点、上下から角度をためらわずに放り出される赤や青やピンクの絵の具の固まり、激しく明滅しながら情報量を変えていく斜線群など、それらが前後左右から出現して折重なり、ちぎれて姿を消していく間に登場した。それは色彩豊かなハイファイのグリッチであり、また膨大な情報量と多様性は高度なアートというべき奥行きと力強さを持っていたと思う。言い換えれば、フィルムに直にインクを書き込む作品は過去にあり、また作者も明滅と点滅を主とするノイジーなフィルムで高く評価されているとしても、しかしここで上映されたものはそれらにさらに様々の感性と、色彩と、こう言ってよければ作品を創造する楽しみといったものが、線と色と躍動感として表れていた。それは、ただの作品の枠を超えた集団による創造行為の持つ、温かさや豊かさを示していたように思う。


透明なフィルムに書き込んだものが8分、モノクロのフィルムに線を刻んだものが8分、さらにそれらを合わせたものが8分と、およそ20分強続いたその上映は、まさに息を呑むものであり、ただ圧倒されるだけだった。ワークショップというと、どこかちょっとした娯楽という印象を拭えないが(*4)、ここでの作品はそうした常識を裏切って屹立しており、様々なインプロヴィゼーションといった音楽に偏りがちなこの企画全体を、アートのトリエンナーレにふさわしいものとして位置づけさせるのに十分であったように思われた(*5)。




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まだ様々な事柄には整理がつかない。特にワークショップの意義とその成果については、他の様々な問題もふくめ−そこには冒頭のオーケストラも含まれる−もう少し感想を続けてもいいかもしれない。芸術、ノイズ、即興、地域、様々にまとまらない感想をもったトリエンナーレだった。
最後には、上述したようにそのワークショップで製作されたノイズ自転車が会場内を走り回り、そして場外へと飛び出していった。それを追いかけて外へ出てみれば、すぐ側の駐輪場で輪を描くようにノイズ自転車が走っていて、雨が降っていた。



雨が降る、というのは嘘ではなかった。それを確認して路上へ走り出していく自転車を追いかけると、いつのまにか会場だった小学校の校舎をあとにしていた。








*1 もう少しだけ叙述しておけば、この日の即興オーケストラはブラスバンドによる不協和音のクラスターに、いくつものメロディがそこかしこで繰り出される形で進展した。奏者については、中学生だけでなく小学生も混じっている一方で、客席から一般の参加者や、また音楽の先生(と思われる)なども参加していた。演奏については全員が一定の訓練を受けていたためであろう、不協和のクラスターは、しかし確固とした音の持続をもって支えられており、参加者全員が思い思いに放つ持続音が形づくる硬質の不協和音に強い印象を受けたことを付記しておきたい。また、同日午後にもワークショップが行われたが、そこでは声の使用(かけ声を出す、というサイン)も用いられており、昨年のフェスティバルフクシマ!で見出されたと理解している、多声によるコンダクションがすでに自家薬籠中となっていることに驚くとともに納得した。
一方、空間性に関して言えば、音響空間については以前に書いたことがあり、また書くことがあるかもしれない。とりあえずこれについては、今年の10月15日の出来事について付記しておこう。


同日は池袋の芸術劇場でプロジェクト・フクシマ!が主宰する盆踊り演奏・パフォーマンスが行われ、今年で3回目になるこの企画に足を運んだ。個人的には例年の密かな楽しみであり、特に初年の寒空で降雨の状況で6時間強おこなわれた演奏は、そこで観覧していた海外からの観光客がついに踊りの輪に入っていく光景で忘れがたいし、去年は安定した演奏と踊りが力強さを感じさせて興味深かった。
今年もまた同様で、特に新しく設計・設置された櫓は十分な機能性をもち、踊りの指導から展開まですべてが完成された趣を持っていた(付け加えれば、この時行われたコンダクションでは、パーカッションを軸としたトライバルな演奏が繰り出され、ダンサブルですらあったグルーヴのある音楽が生まれたことも印象に残っている)。特に個人的には、翌16日、すぐ目の前の椅子で座っていた老人が、ついに後半に耐えきれずに立ち上がって踊り出したこと、また少し足腰の弱い彼がその場を動けずに立って踊っているところに、輪を作ってやってくる踊り手たちが次々と手を取り、ともに踊り、また去っては次の人々が手をつなぐ、という光景は、率直に言って感動せずにいられないものがあった。演奏者には見えなかっただろう、そうした小さな出来事について、ここにメモしておきたい。



だがしかし、音響空間についての記述はこれではない。そうではなくて、15日に演奏と踊りの合間に行われた「ノイズ余興」とされたものである。ここでは、大友、SachikoM、伊東による、巨大なスピーカーを用いた爆音での即興演奏がおこなわれた。
端的に言って、それは会場となる劇場前公園におさまりきらない爆音であり、筆者は演奏開始直後よりステージ間際から離れて劇場前を移動した。途中、すでにステージは視認できない距離からサインウェーブとフィードバックノイズの共鳴に三半規管が撹乱されて目眩を覚え、さらに遠くへ、挙句は道路一本を挟んだ横断歩道を渡った向こう側の街路に立っていた。
すでに何度も繰り返したが、音は目に見えない。だが、たとえ目に見えなくとも、道路を挟んだその街路にあってノイズは空間上を横断して振動していた。じっと耳をすますと、遠くの、しかし別の角度にあるはずのロサ通りで引き起こされた騒乱とパトカーのサイレン(よくある暴力沙汰の結果だろう)が、ほんのわずか浮き出して立ち上がって聞こえてきた。それは、まったく奇妙だが、奇妙な場所での都市と即興演奏の共演だった。かつて、2009年に聴いた以外、つまりアンサンブルズ09での旧フランス大使館での演奏以来、このノイズを聴いたことは一度としてないものだった。




*2 今年の2月に開催されたアジアン・ミーティング・フェスティバルの東京公演を見たのち、シンガポールのSAの来日公演に行った。そのような意味で、今年の冒頭からにわかに(あるいは、ようやく?)アジアということを含めて音楽のあり方を考えるようになった。
率直に言うと、地域で、あるいは、地域から、音楽を考えるということには、まだ若干の抵抗がある。実際、それはどこか地域振興というようなニュアンスを帯びるし、また地域だけを特定して音楽を考えることは、音楽を「地域文化」として捉えることでもあるように思う。端的に言うと、それは音楽を「一地域文化」へと矮小化することにつながるかもしれないという、そうした懸念もある。


にもかかわらず、その後もライブに行ったり、また再びこうした企画に行くようになったのは、その2月の演奏に心を打たれるところがあったからだ。思ったことはいろいろある。例えば、欧米を軸にした即興演奏では、楽器と声は分離して捉えられることが多いが、アジアの即興演奏家は案外とたやすく楽器と声を並列で使うことができ、それが興味深かった。また、いわゆる「即興演奏の専門家」というだけでなく、普通にポップスやアンダーグラウンドなクラブミュージックなどをやっている人々が、むしろ気軽にインプロヴィゼーションに参加することでできる演奏のあり方も興味深い。もっと言えば、そうした声や、また「即興演奏の専門家」の外側のパワフルなアイデアを用いた集団即興演奏は、少なくとも日本で繰り広げられる即興演奏の枠には収まらない部分を多く持っており、それらの様々な要素が非常に説得的に展開していた。このような演奏を実際に目の当たりにしたために、その後も追うようになったのである。


なので、未だにアジアの演奏を「アジアの演奏」と捉えること自体については、少し戸惑いがあるというのが、現在の正直な感想である。ただ、すでにそうした演奏を見てしまった以上、戸惑いがありつつも追いかける範囲は追いかけるだろうし、そうした企画を遠くからながら応援することになるだろう。だがそれは戸惑いを解消するものではなく、むしろ音楽や芸術活動(や非芸術活動)を見る上での刺激としての側面が強いかもしれない。どうやら多くの事柄は、両義的に進むみたいだ。というのが感想になるだろうか。




*3 全体の構成は、次のようだったと記憶している。スニフソロ→ハルドノワークショップ→大友ソロ→ノンヤオソロ→チーワイソロ→牧野ワークショップ→大友・スニフ・チーワイトリオ→ハルドノソロ→大友ワークショプ→合奏(含む上映)。なお終盤のワークショップにはめずらしく自身も紛れ込んだり、途中でスニフ氏と会話などもした。そこで話したグルーヴィーな演奏と観客・環境の関係(具体的にはリズムのある演奏と、それを黙視しがちな観客の関係)については今なお関心がある。




*4 なお、上映に際しては、簡単な3Dメガネが配布され、それをかけて見ることが推奨された。実際、上映中にそれをかけると、立体感というよりはわずかな奥行きが生まれ、とりわけ黒点については波打つように現れては消えていく感触を強くしたという印象を持ったことを付記しておく。
また、上映にあたっては、第一に、単にフィルムが上映されるだけでなく光学録音による音響も同時に出されており、つまりワークショップで加工したフィルムをライブで視覚的・音響的それぞれの形でプロジェクトされていた。その音は、低音が強いノイズとしてかなり速度を感じさせる音響としてあるとともに、作品のあり方としても(とりわけメディアとしてのフィルムをオーディオとヴィジュルアルに分割しつつ同時再生する、という方法において)注目されていいかもしれない。また第二に、そうした映写にあたっては、加工されたフィルムは巻き取ることができず、映写機から直線状に伸ばされたフィルムが2階に控えたスタッフによって丁寧に向きを調節され、そこから映写機まで長く垂れ下がるように伸びていたことも状景として院そう深い。さらに上映中の映写機についても、映像の角度や形態から、映写機の角度や位置を調整しながらの上映であった。この二ついずれも、こうした点で強いライブ感覚があったことも付け加えていいかもしれない(なお光学録音については細田成嗣氏よりの教示を得た。記して謝したい)。


もう一つ、終演後にフェイスブックへの投稿で、作成したフィルムの各パーツをバラして、手を加えた小学生それぞれに返したという作者の記述を読んだことも付記しておこう。そこには、この日に上映された映像がつまりその日限りのものであったこと、ただし全員がフィルムの断片を持っていて、いつかそれを持ち寄れば、ふたたび再演されることがあるかもしれないという旨が記されていた。それを読んで、この日の作品はその前後を合わせて、まさに全員が参加し、一つのものを作り、そしてその欠片を全員が少しずつ持ち帰るという形で、作家と子供たちの時間(過去と現在、未来)を共有するワークショップであったのだと、あらためて深い感銘を受けた。




*5 なお、個々のパフォーマンスについて十分に記述することはできないが、ここで特記しておきたいのは、大友によるギターソロである。近年、特にテレビドラマでの活躍をする前後から、個人的にはあまりソロの演奏に強く焦点を置いて聞くことがなく、また実際の活動も集団の協働に重点が置かれていたと思われていた。しかしここでの演奏は特筆すべき演奏だったように思う。


演奏はいつものように、気楽な風情で始められた。注2の企画でもソロの時間があったが、それと同じように、わずかにグランジの風味のあるノイジーアブストラクトな演奏というところだろうか。特に最近は、ソニックユースの諸氏の演奏との類似性を感じるところが多く、この日もそのようであるかと思われた。


が、途中から演奏の形態は変化し始めた。ディストーションがかかったまま、何度も同じようなうねりを反復し始め、具体的なメロディはないがブルージーな、と言って良いニュアンスを帯びた。そして入り込むのはいつもの爆音のノイズで、軋むような高音と重低音が混じり合った音塊の投射。そこから、合衆国国歌に突入した。
演奏を、文脈から理解することについては、賛否があるだろう。そのことはわかっている。しかしながらこの日の演奏は、まさにその文脈において、したたかに打ちのめされるに十分だった。それは合衆国国歌のディストーションギターによる演奏、つまり1969年のウッドストックにおけるジミ・ヘンドリックスのコピーだった。フレーズを二度ほど反復したのち、もう良いかな、という感じで演奏は終わった。


この場合の文脈は、複数である。一つはいうまでもなく最近おこなわれた、アメリカ合衆国大統領選挙の結果と、それにともなうさまざまの混乱があるだろう。それは単に新しい大統領が決まったというだけでなく、社会の分断や経済・軍事にわたる方針の転換を予期させるものであり、すでに混乱も見られ始めている、そのような事態だ。それは、かつて知っている限りではベトナム戦争の混乱期にあって、合衆国の焼け付くような混乱を描いたとも、戦場の光景を描写したとも、怒りを表明したとも解釈されるヘンドリックスの演奏が再演されるのにふさわしい時期であるだろう(※なお、この企画の11月27日はヘンドリックスの誕生日でもあったが、それがどの程度影響していたのかはわからない)。


一方でそれは、これまでのギターソロや、あるいはジャンル音楽の文脈においても、驚きを禁じえないものだった。これまで様々なジャンルを包摂して行ってきた、ポストモダンからジャズ、フリージャズを吸収して模倣し、批評して行ってきた演奏家が、ほぼすべてのジャンルを横断し尽くしたと思えたはずのところから弾きだしてきたブルース・ロックは、想定もできずに驚愕した。また、必ずしも洗練されてはいない、とりあえず模倣から始めるというようなストレートな演奏にも、驚きを禁じえなかった。そこから瞬く間に逆算される射程、つまり射程としてのブルース・ロックやヘンドリックスの深さに思い至ったが、それについては書かないことにしよう。


そしてもう一つ付け加えれば、それはその直前、前日か数日前かにアップされたばかりのエッセイの結末への、一つのつづきであり、答えのように思われた。そこでは、長い連載で個人史を振り返ったはずの最終回で、分断され始める社会とアメリカのことが描かれ、答えのない、未知の状況に足を踏み入れつつあることが、そのままの形で放置されていた。文章はそこで終わっていたが、まるでその日の演奏は、その放り出した描写のつづき、最終回のそのつづきのように感じられた。そしてその反復された合衆国国歌のフレーズの中に響いていた、今なおつづき、これからも続いていくだろう、文章と音楽の、時代と文脈の、広義の音楽芸術と個人のあいだにある、不可避だが予期できない状況の変化と関係について、あらためて思いをめぐらせるばかりだった。