札幌国際芸術祭おぼえがき7 備忘録(続)

備忘録(続き)
9月7日木曜日


あれこれと深夜2時すぎまで起きていたはずだが、朝7時に目が覚めてしまう。玄関の外に出て一服。2階の階段側から周囲の建物をながめる。製造会社の社屋などが見えて、出勤される方の姿が。おはようございます、ここは札幌だ。
一服したのち、支度をして外出。ここで一番困ったのが、持ってきたノートPCである。昨日は1日持ち歩いていた。今日はゲストハウスにいるのだから置いておきたいが、ここは二段ベッドだけである。鍵のついたロッカーもあるが、入るかどうかわからない。という以前に、すべて使用中だった。
面倒なことを考えないでいいようにするために、今日も持ち歩くことにする。若干の着替えなどはすべて置いておき、折りたたみ傘と少しの紙類とガイドブックとPC。まるで普段の生活と変わらない。ゲストハウスの方に聞くと、ススキノまで15分で歩けるというので歩くことにする。
途中でセブンイレブンに寄り、唐揚げを買い、きのう無駄にチャージされてしまったICカードで支払う。なるほどこういう支払いがあるのかと思い、以降コンビニなどはICカードで済ます。


食べながら川を渡りススキノ駅。ドトールに入って、再度あらためて朝食。狸小路をながめ、今日の予定を確認したり組んだりする。どう考えても、全部を見ることはできない。といっても全部を見ることが目的でもないし、やはり大物は基本、全部カットしていく方針に。時間ができれば見ていけばいいのだ。野外彫刻も気になる。ビッキやゴームリーのものがあるという。ここに来ないと見れないのが彫刻だ。
SNSを見ると、台湾の林さんから、昨夜貼っておいたドミューンの写真にコメントがあり。「どんなパーティーなんだ?」と言われ、「パーティーじゃないけど、エロティシズム版のアビ・ヴァールブルグみたいなもの」と返しておく。たぶん彼は知っているだろう。



芸術の森方向に向かう。真駒内まで一本だが、やたらに電車が揺れる。バス停で運転手さんに「これは芸術の森に行きますか」と尋ね、そうですと言われたので乗る。ぼんやり見ていると石山緑地らしい近辺を通り、緑の山肌がごっそり削れて土が見えている山が見える。おそらくあれだろうか、と思う。ぼんやりしていたら市立大学前という停留所があり、思いついて慌てて下車した。
道を直進すると、すでに写真で見ていた市立大の建物が見えてくる。空中回廊らしき構造も見える。まだ9時半ぐらいで早朝と言って良いかもしれない。


エレベーターを上がると、受付があり、右を見るとそれが広がっていた。2台のアップライトのピアノ、壊れたグランドピアノ、空中回廊にずっと何かの装置が散らばっている。奥は霞んでみえにくい。ゆっくりと歩みだす。頭上のスピーカーから、女性が詩の一節を読んでいるのが聞こえる。2台のピアノは、自動制御とはいえまるで人が弾いているような響きがする。ややくせのありそうな手つきは坂本龍一だ。毛利悠子の展示というべきか作品というべきか。朝の回廊は日差しが入り込んでいて、静かだった。
歩いていくと、まるで奇妙だが、音と音のあいだにいるような感覚に陥る。そんなことはなく、音速の速さは体感しうるほど以上のものであるのだから、そうではない。だが歩いていればその感覚は拭えない。奥まで行くとグランドピアノがあり、ここでも自動制御でも、もはや豊かと言っていいような演奏が行われている。アンテナ型の装置は高周波トーンの発信源とおもわれた。そして多くの静寂、静寂は、しかし、残響に包まれているようだった。たくさんの色々な静寂があった。


仕掛けもわからないし、意図もわからない。ただそれから30分以上いた。これまで2009年くらいから見ていて、装置が出す音や、振動を感知するセンサーを使った装置などはあるが(おそらくここにある幾つかの装置もそうしたセンサーで、その場で動いているのだろう)、けれど、ここまで空間そのものなのは初めてだった。空間そのものということは、ここにある振動が、音が、あつかわれ、展示されているのだろう。(一体どれほど波形の異なる様々な種類の音が、ここには展示されているのだろう)
とりあえず次に行くためにまとめた結論は、これは「21世紀のロアラトリオ」である、ということだった。ケージがジョイスの朗読と多様な素材のコラージュで作り上げた創作物を、しかし思い出さずにいられなかった。ロアラトリオでないとしても、非常に強くケージの印象を想起する。
もちろんその多くは雑多な素材によっている。声の使用、ピアノ数種、鈴、ファン、高周波トーン、回廊にいればいるほどそれらは混じり合うようで混じり合わず、反響と残響と金属音とトーンと静寂の、空間上でのミックスだろうか。声質はいくつか異なるバージョンがあるようだったが、深いフェルドマンを思わせる簡潔でゆったりしたピアノの低音の合間で異なる質感を保っている。完成度は高い。ケージ、と思わず言ってしまうのだが、その完成度の高さがいいのかどうかはわからない。おそらくアカデミックな作家や芸術家志望の人は、まず見に来た方がいい。明るい日差しの差す回廊は濃厚な波形の干渉に包まれている、ように思えた。自動制御、センサー感知、詩、ピアノ、ジョンケージ。芸術祭だなと思う。





すっかり疲れたという気分でエレベーターを降り、すぐにあった図書館に入って喫煙所の場所を聞いた。2000年代後半、技術が音楽を塗り替えつつある時サインウェーブや静寂を基礎に据えた音響的な即興を見たときに近い感覚だろうか、ごっそり体力が消耗している。昨日トオン・カフェで教えてもらったのはこのことだった。コンビニですと言われたので外へ出て、コンビニに入ってソーセージと飲料を買い、外で煙草を吸い、食べて飲む。目の前にバス停を眺めながらソーセージを食べた。濃い味付けが美味しく感じる。もうすでに11時を回っており、のんびりしていれば午後になってしまう。バス停は目の前だ。
芸術の森は、明日の午前に行くか決めることにした。モエレ沼に行くことにする。



大通りに戻り、大通のドトールでサンドイッチ。バスの本数が少ないことにようやく気付き、一本逃すと次は30分以上待つことになるということに気づく。慌てて移動、走って電車に乗り、バス停まで走り、ようやく乗り込んでモエレ沼へ。バスはどんどん人が乗ってきて、「モエレ通り」という通りを走っていく。
モエレ沼公園はひどく広大で、バス停で降りてから入り口までかなり歩いた。入り口ではなく駐車場で、入り口までまた歩く。入り口ではなく自転車レンタル場で、どこまで行くと何があるのか不安になる。かなりぶらぶら歩いていると、途端に沼になった。向こうにガラスの青みがかったピラミッドと、中に黄色いう○このような形態が見える。浅草のう○こビルをふとおもいだす。今は改修中のはずだ。
近づいていくと思ったより近く、いきなりピラミッド。やはりう○このようだと繰り返してしまう。プーとも言うななどと一人ごちながら写真を撮る。今日は暑く、ピラミッドも輝いている。ではプーの中へ。


Without recordsには人がたくさんいた。奥の方まで行くと休憩用の椅子のところに地元の少年少女がたむろしていて、どうもダラダラしているらしい。なかなか凄い場所を発見したな君たちと思いながら、あちこち見上げる。ガラスが熱を吸収して内部空間は熱い。東京で何度か見たのと同じターンテーブルがある。また今回は操作がわかりやすく表面化しているものもあって、随分と賑やかな作品になっていた。
と思うと、その真価は、むしろ階段を上ってからの空間だった。まさにピラミッドの神秘的な墳墓を思わせる、落ちくぼんだ構造のピラミッド上部。そこに高々と並ぶターンテーブルとノイズは荘厳というべき響きがあった。見上げるとまだ上があり、次々に登る。靴を脱いで、黄色い構造物のような布製の巨大な彫刻の中に入る。階段を上り、また布製の巨大な彫刻の中に入る。最上部で全体を見下ろす場所があり、そこでの音は、まさしく荘厳だった。(このピラミッドの姿は、幾何学形態でもあり、墳墓でもあり、住むことのできない展示=美術館でもあって、体験するのは良かったと思う)。



とはいえ、すでに加熱されたピラミッド内は涼しくなることはなく熱くなる一方で、ぼんやりしながら上部の部屋に収められたナムジュン・パイクのロボットや動物ロボの側を通り過ぎ、家電とレコードやジューサーミキサーを使った展示をしばし凝視して通り過ぎ、宇宙空間の説明を眺めて通り過ぎ、ようやく終わりかと階段を下りていくと下階からのリズミカルな低音が響いてきて、もしやと思いながら降りると爆音の展示作品があった。激しい赤と白の光の明滅、鳴り響く高周波ノイズに重低音のハーシュノイズが合わさって、宇宙への信号を検知ないし発信しているようだ。隣には奇妙な幾何学フレームがあり、明らかに異様な彫像であろう。モニタにライブで送信されている信号が映されており、それをその場で視聴覚化しているらしかった。強烈でありそのままノイズでもある。




疲れてダラダラ歩きながら、出口のところにあった椅子に腰かけてペットボトルを取り出した。困ったなーと、珍しく頭の中で文字通りつぶやく(もしかしたらぶつぶつ言っていたかもしれないが分からない)。これでも一応、自分はノイズトラックメイカーで、海外の人ともやりとりしているし、それに自分でも最近ようやく結構おもしろいかなと思えるものができてきたつもりである、昨日のコンピもそれなりには面白いはずだ。
しかし。昨日の梅田展示、あれはごくたまにだけど物凄いジャンクなノイズがある。それに今の部屋、あれはデジタルノイズだ。テクノミニマルという2000年に出てきた表現の、もっとも洗練されてポップなあり方だ。実際、そんなことを考えている目の前を中年の男女が通り過ぎながら「あれはわかりやすくて良かった。ああいうの良いよね」と言っている。うるさいかどうかではなく、テーマと場所に一致しているのだ。それに内容は今できるものの中でもかなり洗練されている。もちろん例えばインキャパシタンツのライブに行けば耳鳴りがそのあと何時間も続いたりするのだから、そういう音圧ではない、とはいえ多くの人が体験できるものとしては上質だ。毛利梅田堀尾、その展示を思い出そう。世界で戦っている奴らの作品があったということか。
それに、と正面に展開しているガラスのピラミッドの中にあるターンテーブルの森を眺める、手前には学生たちがのんびりしている、これもノイズだ。これは、つまりこの芸術祭は、啓蒙ではなく、最先端が受け入れられるような形で、上質のまま置かれているのだ。



困ったな。



トオン・カフェを再び訪れたのは夜7時くらいだった。まるで遠足の帰り道のような疲労とともにバスで戻り(実際、バス停から一緒に乗車した方は寝ていた人もいた)、たまたま通ったとんかつ屋に入ってロースカツを食べる。ゲストハウスに戻り、コーヒーを飲みPCを取り出してSNSに書き込み、メールチェック。林さんから「クールだな」という返事が来ていた。ベッドを見ると、やはり簡易なベッドメイクがされており、荷物も若干移動している、ということで、むしろ今度はPCは置きっ放しでも大丈夫そうだ。着替えをして外出。
ゲストハウスの人に聞いて、今度は川に沿って南下し、中島公園方向へと歩く。途中で道が途切れ、右へ曲がるとススキノへ出た。昨日と同じルート。南に向かう。店内に入ると、またコーヒーの、違うブレンドのものを頼む。タバコをいただく。昨日教えてもらった配分が参考になったことをお礼。市立大がもう3日前のことのようだ。次はアジアンミーティングがあって、それを目当てに来る人がいるかもしれないという話。毛利さんのは良かったと言い合う。しばらくしたらお客さんが増えてきて、出かけることにする。テニスコーツのライブだ。


ススキノを北上し、街中の大風呂敷を見つける。さらに大通近くで芸術祭仕様の市電に遭遇。東急ハンズを探してうろうろし、ようやくOYOYOを見つける。雑居ビルの上階、その半分ぐらいがライブ会場兼バー、バルコニーもある。50人入るといっぱいになりそうなイベント会場というべきだろう。
うろうろしていたせいで、高橋幾郎さんの演奏の中途から入場。ドラム一つ、足音、声だけでビートの分割とレイヤーによる複雑なリズム構造の変容が展開する。間と複雑さの混合具合が独特だ。3分くらいしか見れなかったけど満足。
しばらくすると中途休憩ということで、やはり喫煙所を聞くと「バルコニーで」と言われる。出てみると、それなりの広さの屋外で、灰皿もあり、タバコに火をつけて煙を吐き出し中の方を振り向くと大友さんがいた。これほど朦朧としていて緊張など感じることもない状況は稀なので、気安く声をかける。「リツイートしてもらってるんですけど」というと、名前やら職業やらを聞かれるが誤魔化す。とりあえず元気そうなので、まあいいんじゃないかと思う。


後半。池間由布子という方を始めてみる。実際は演奏前から、ノートを手にして会場後ろ側をうろうろしている女性がいるなと思っていて、スタッフが何かバタバタしているのかと思っていたのだがその人だった。歌がうまい、あと変な曲を作っていて、同じフレーズだけでできている曲があり、アコースティックギターなのに後半次第にシューゲイザーのように盛り上がっていく。あとで調べるとそれなりに有名であることが知れるのだが、いきなりみるとぽかんとしてしまう。


会場と演奏と客席を見ていて気づいたことが一つあり。それは皆しずかに聞いているということだ。アコースティックライブだから、それでもいいのかもしれない、でもアコースティックギターでも複雑なリズムを作る人はいるし、それはそれで音楽家の快楽であり、客と共有したい(メロディや歌詞とともに)点かもしれない。だとすれば多少の揺れはあっても良い。腰と足を、分割される時間と時間の隙間で。踊ろうか。と。
多少変だと思われてもいいので、だからしばし体を揺らした。PCを置いてきておいて良かったなと思う。



終わったあと、雑然とする(この辺りは高円寺かそこらのイベントスペースとなんら変わりない)会場で、バルコニーで一服しながら、ツイッターを介して連絡しつつ遂に、札幌国際芸術祭非公式とじっさいにサムズアップを交わす。椅子に腰掛けてしばしお喋り。この芸術祭は、まさしくその人物が支えていると言ってもいい。いや実際には無数の非公式に支えられているのかもしれない。その中でも自ら矢面に立っている、だから個人的にはもはや伝説上の人と出会う。この芸術祭は予想以上に先端的であるという話、毛利さんの作品の素晴らしさについて、また芸術と公共性の話などをする。よく笑いよく喋る方で素晴らしかった。
物販で池間さんがいて、すごかったというと東京で活動しているという。チラシを一枚だけもらう。これだけでこの人は活動しているようで、逆に驚きを覚えた。
疲れたし眠いので帰ろうと出口に行くと、今度は非公式氏と大友さんが一緒にいるところに立ち会う。隣に立つと大友さんはでかい。公式と非公式で話し合う企画とかすればなどゲラゲラ笑っていて(その後、どうも22日にその企画ができるらしい)しばし話したのち、挨拶して会場を出る。彼らにとっては、ごく沢山ある状況の一つなのだろうけれど、なんと伝説のような場所に立ち会ったのだろうと思う。帰りの道ではいつものように道に迷った。