札幌国際芸術祭おぼえがき8 備忘録(続々)

備忘録(続き)
9月8日金曜日


ふたたび7時ごろ起床。昨夜はライブのあと、やはり深夜2時ごろまでSNSなどをしていたので眠い。準備をしていると海外からの旅行客らしい人がすでに支度を終えて出かけるところに出くわす。ゲストハウスというと、そうした雑多な客の交流が期待されるけれど、今回の旅行ではそれは体験できなかったな(というか、その時間に宿にいなかったな)と思う。簡易な着替えを詰めて鞄ひとつで終了。チェックアウトの手続きは不要らしい。そのまま忘れ物チェックなどをして、外出。


すでに勝手を知った気分で川を渡りススキノへ。昨日はいったドトールの向かいにあるロッテリアで朝食。しばし今日の予定を考えたのち、北大から三岸好太郎美術館、資料館から街中の展示を見るというルートにする。帰りの便は午後5時で、午後3時には札幌を出る必要がある。


9時ごろに札幌駅を通り抜けて、反対側の北側にある北大へ。朝の大学はゆったりしていた。9時25分ぐらいに大学博物館に到着。開館直後に入る。吉増展だ。
個人的には吉増に積極的な関心は、実はほとんどなかったけれども、展示を見て出てくるときは記憶と感想で胸がいっぱいだった。理由は石狩シーツよりも、隣にあったゴーゾーシネだ。室内全体は切れ味鋭い展示構成で、コンパクトにいくつもの作品が視界の中で重なり合うようになっている。奥に石狩シーツを朗読する壮年の詩人の映像があり、左側にゴーゾーシネがあった。青い画面に庭が映り、ヘッドフォンをすると詩人が語っている。詩人は画面の中には登場せず、カメラを構えている本人らしく、音声と音楽と風景で構成されていた。
デュシャンよ、なんだよ、お前の言っていることはさあ、ジョイスニーチェも言ってるじゃないかよ、なあ」というような言葉がいきなり始まっていて、突然に芸術史(美術史というより、より広い何かだと思う)に引きずり込まれる。何か奇妙に整った可愛らしい音楽が流れていて、これは?と思うと「これは、武満徹の曲なんですけどねえ」という声とともに画面が下がってテープレコーダーか何かが映る。「今日はね、ケージさんの手書きノートをね、OHPにして持ってきてましてね」という声。何かスライドが画面に入り込み、文字が書かれているものが映る。読めない。「小樽の、石でねえ」という。
突然の異様な世界だった。ここには人は全く映っていない、という印象が背筋に入り込んでくる、といえばよいのか。わざとやっている、という印象も拭えない。風景と音、もの、声。本人は絶対に画面に入り込んでこないだろうという(勝手な)確信があった。人間のいない世界なのだ。
デュシャン、ケージ、武満、ジョイスニーチェ、なんというきらびやかな名前が、「ああ」という声は「嗚呼」と書くのかもしれない、芸術を生きている人が作っている、という異様な世界の感触。おぞましいまでに冷たいモダンな世界に接している気配(例えば、ただの老人の呆けた独り言にしては、記憶の中で文章を引き出してデュシャンをけなしたりはできない、それらを一人で対話まで処理できるほどに蓄積されている、そのマシンの独り言のようだ)。ゾッとして、奥のスクリーンで叫んでいる壮年の詩人の声に焦点を合わせる。シュールレアルな表現と身体性がある。
15分ぐらいで出てきた。まだ次に行きたいところもあるからだ。だが歩きながら、いま耳元で聞いた声の、その記憶(声が語っていた記憶)が次々に想起され、自分でも嗚呼、と言いそうになる。嗚呼、なんだここに芸術が。
駅をまたいで、また街中へ向かう。駅をまたいで北に、街中を見下ろすように、芸術があった。芸術祭。




札幌駅から大通へ行き、ドトールに入って一服する。時間の余裕はないが、一服するに十分だ。あそこにあのゴーゾーシネがあることには何か意図を感じなくもない。小樽のホテルを外から映した、いわば生きた芸術の作品は、まるでこれまで見た芸術祭を裏から支えているようだった。嗚呼、というのは、あのように発音するのか、などと思い、北海道でこうした芸術祭をすることにも何らかの必然性を与えているようにも思われた。小さな作品でそこまでだろうか、いやそのような作品だったかもしれない。まったく全部を見ることはできなかったな、芸術祭、と思う。


電車に乗り、資料館の脇を通り過ぎて北上する。三岸好太郎美術館へ。大友アーカイブを見に行く。瀟洒な建物で、目当ては高柳昌行のライブ映像だ。展示品を眺め、貼り出されていた大友さんの学生時代の論文を読む。太平洋戦争でのジャズの統制を扱ったもので、戦時下で「ジャズ」は禁じられ、一方では明るい音楽がもてはやされていく流れを概観しつつ批判するもので、現在の一見ポップで大衆的な音楽を作っている音楽家のその裏の考えを知るようだった。その隣にあったモニタでアーカイブ映像を視聴し、一切キャプションのない映像ではマスヒステリズムとその前にもう一曲、ライブ演奏が映されている。充実していた。
奥にはレコードとCD、アーカイブ、展示があり、展示は高周波も使った密度の濃いもので、モエレ沼のピラミッドより凝縮された印象を受ける。展示ではしばしば(本人の演奏のさいのスピード感は削除して)スローテンポで持続的な傾向があると思うけれど、ゆるやかなカットアップよりこうした抽象的な作品の方がそうしたベクトルには、現段階では合っているように思われた。
三岸好太郎の濃厚な作品を上階でじっくり眺める。




資料館を文字通り裏庭から通過し、通り抜けて駅へ。初日に来たとき準備されていた大通公園でのお祭りが始まっていて、出店で肉焼きなどをほうばる人たちであふれている。もう12時を過ぎていて、どうしようかと思うが、せっかくだからお礼と昼食を兼ねて電車で南下してトオン・カフェへ行く。
お店はひとしきり一杯。まろやかなカルボナーラをいただき、ずいぶん休憩できたこと、話が参考になったことを伝える。雑談をしてゲストハウスの生活模様や(特にない、という結論)、時事問題などもする。もしこの旅が充実していたとすれば、その半分くらいはこのカフェのせいかもしれない。お世話になりました、ごちそうさまでした。と言って外へ。



もう2時ちかかった。この道をたどるのは3度目の、北上をしてススキノ方向へ。堀尾展示を見に行く。シャッターから中に入り、2度目です、という。構造がそのままに見えて建物自体が素材となっているこの作品は、似たものを見たことがなく言葉を失って見入る。ノイズであるという前回の見方に、エンジニアリング的想像力が基盤そのものを動かしてしまうという凶暴なあり方も見ることができるかもしれない。それにしても順路、入り口、地階、出口まで、完璧に考え抜かれている。
そういえば前に来た時は親子連れの方がいて、子供達(まだ小学生ではなさそうだった)が楽しそうにシャッターのところではしゃいでいたことを思い出す。彼らにはどう見えたのだろう。動くおもちゃの仲間たちのようなのだろうか。そう思えなくもないなと思う。
ゆっくりと開くシャッターから光が差してきて、そこから外へ出ていく。




ススキノまで来て、もう何度目だろうか、駅近くのドトールに入る。喫煙席は2階で、外をガラス窓から見下ろしながらゆっくり一服。2時半を過ぎていた。走っていけばまだいくつか展示を観れる。記念品を買うのもいいかもしれない。けれど疲れたし、それに十分であったような気がした。どうも一つの完結した構図が描けたのではないだろうか。今日の吉増展も大きかった。ここに来るまでに想像していたはっちゃけった展覧会でもなかったし、テクノロジカルなこめかみをえぐられるような展示でもない、ごくあたりまえの、ごく当然の常識に沿って成立する札幌という都市の中で作り上げられている現在の展示だ。吉増のとなりに、そういえばモエレ沼のピラミッドで見たナムジュン・パイクの姿も見える。廃墟ではない、生きたガラクタの世界。 ガラス窓の向こうに狸小路と、ひるがえる風呂敷で作られたモザイク模様の旗を眺める。