感想

たぶん僕は展示を社会的に引き付けすぎているし、またあまりにナイーブになりすぎ、感傷的にすぎるのだろう。作者3人の意見と合っているのかも確かではない。ただ、あえて引けば前回の横浜トリエンナーレでみたオノ・ヨーコの滑車から光の柱が展に突き立つ作品のナイーブなまでの主張、それを見たときの感動と、おなじほどの衝撃を受けた。展示は内容をきけば濃厚に「死」をかんじさせるようにも思えるけれど、実際にみたときは、私生活めいたものや自殺願望めいたものや生・死とナルシスティックに戯れているものでは全くなかったと思うし、僕はそんなもの見たくもない。あの展示はそんなものではなく、むしろ洗練されているといって良いものだろうと思う。
ただし、僕のこの感想が初日の演奏を聴いたという、やや特殊な状況から出てきたものは確かだ。3週間箱に籠もって「消失」をテーマにした展示をする、なんて、それだけ聴けば笑ってしまうし、「四畳半シュールレアリスム」以下の子供だましだ、という批評も出てくるだろう。もうすでにあるかもしれない。実際、2週間ほど後でまた行ったとき、僕は感想を反芻し続けていたが、一緒に連れて行った友人(この時がはじめて)は、白い箱を見て不気味に思い、しかしなぜそういうことをするのか実感が湧かないと言っていた(ちなみにそのとき、そっと箱をノックすると返事が返ってきた。安直な解釈は避けるべきだろうけれど、消失していたことの一つに、言葉の通じない「他者」とのコミュニケーションがあるという、これもあまりにナイーブなメッセージを受け取ったことも記しておく)。
残念ながらあの状況はもう二度と再現されえないだろう。あの異様な空間と雰囲気、ねじ曲がった聴覚を覆った歪んだざわめきは、はっきりとしない言葉を生み出して止まらなかった。たぶん多くの人もあの体験に触発されたのだろうと思う。あれは特権的な、というべき体験だったのだろうと、今にして思う。
あえて長く書いたが、その理由は、おそらく言説としては冷笑に付されるだろう展示の記録として、初日にたまたま立ち会ってしまったガキの感想くらいはあって良いと思うからだ。ひとことでいえば、あの日は「事件」もしくは「事故」だったのだろうと思う。美術手帳を乗っ取ったのだから、それくらい言ってもよいだろう。冒頭に書いたように、これを書くことで僕はこの経験を葬るという意味もある。ながながと2ヶ月も影響を受けてしまった。これまでに書いた日記はすべて、その影響下で「ありのままの感想をありのままに書く」というエッセーのようなものだった。ただそれは次の作業のために、一度中断しなければならない。
けれど、あのとき感じた無関心の圧迫は、たぶんずっと残るのだろうと思う。無関心の中にいるのは僕自身も同じだからだ。いま消失しているのは真実や、希望や、コミュニケーションや、平和なのだろうけれど、そのもっとも身近で大きなものがひとりひとりの無関心ということであり、それではそこでどうすればいいのかと、これもあまりにナイーブなメッセージを受け取ったことを忘れることは、今なお困難だ。